第九五話 指極星(一一)
一一月一六日は、正村麻弥の誕生日だ。普段であれば、麻弥は大学の講義の終了後に、家かバイト先かへの移動を直ちに開始するのだが、この日は違った。駐車場のウェスタに戻ると、後部座席の片方を前倒しにしてフラットにし、靴を脱いで上がり込んで、ごろりだ。
今日は帰るな、待ってろ、という孝子のお達しがあった。親友は四時限までみっしりと講義を取っているので、三時限だったこの日の麻弥は一時間以上は待たなければならない。
日付から考えて、自分の誕生日を祝ってくれるのだろう、とは読んでいる。時間が時間だけに食事ではない。何か、プレゼントの選定にでも……。
「ああ、だからバイトなんか始めたのか」
養家に絶大な支援を受けているはずの孝子だ。亡母の遺産も、かなりあるらしい。だが、それらを使ってプレゼントを買う、というのは、いかにもらしくない。
「全く……」
にやにやとしながら、麻弥は体の向きを変えた。小春日和というには少し寒かったが、締め切った車内なら、それなりに暖かい。手枕をしてすぐに、麻弥は眠りに落ちた。
一時間半後――。
「……あれ、いない」
「……後ろでおやすみですよ」
寝転がっている側のドアが開かれ、麻弥ははっと目覚めた。
「おう」
「なんてことをしてるの」
あくびをしながら外にはい出し、麻弥は大きく伸びをした。
「もうちょっと寒くなったら凍死だな。春菜は部活はどうした」
「正村さんの生誕祭と聞いて、お休みです」
「帰ってきて教えればよかったよ」
横目ににらむ孝子だが、春菜はこたえた様子もない。
「お姉さんは、いつですか?」
「二月の八日。おはるは?」
「私は一月の二三日です」
「近いね。お祝いはまとめてやろうか」
「お前はおばさん主催のがあるだろ」
「二〇過ぎたら誕生日はうれしくない、って言って中止にしてもらおう」
わいわいとやりながら三人は車に乗り込んだ。旗振り役の孝子が運転席に座った。車を向かわせたのは舞浜駅の東口だった。大型デパートに併設されたパーキングビルに入る。
「靴、買ってくれるのか」
助手席を降りながら麻弥がつぶやいた。孝子の合格祝いにドライビングシューズを買った店は、この大型デパートの中にある。
「うん。この履き心地は、ぜひ、お薦めしたい」
プレゼントされて以来、孝子はほぼ全ての場面でドライビングシューズを履いている。それほどに気に入られたなら、麻弥としても贈ったかいがあったというものだ。
ドライビングシューズを扱う店は六階にある。六階は紳士雑貨のフロアだ。
「ここ、最初に入るときは、ちょっと度胸がいった」
「うん。男物のフロアって、やっぱり、暗色が強いよね」
「冬は、特にそうなんだろうな」
フロアの隅にある紳士靴コーナーに近づくと、売り場からスーツの男性店員が飛び出してきた。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
眼鏡にさっぱりと刈り上げた頭髪の男性店員は、麻弥を見ると、にっこりとほほ笑んだ。
「ああ。やはり、お客さまでしたか」
「どうも」
麻弥が購入したときの担当も、この男性店員であった。
「女性のお買い上げは珍しいので、こちらさまにお話を伺いましたとき、もしかしたら、と思ったんです」
うなずいていた孝子が、ぽんと麻弥の肩をたたいた。
「さあ。選んで。私と同じのにしようかと思ったんだけど、麻弥ちゃん、くるぶしの隠れる靴は嫌いだ、って言ってたでしょ」
「うん。合わん」
麻弥が孝子に贈ったドライビングシューズはチャッカブーツスタイルだ。何度か、試しに履いてみて、と言われたが、くるぶしうんぬんの理由で麻弥は拒否し続けていた。二人は六センチほど身長が違うが、靴のサイズは全く同じであった。
「さて、どれにするかな……。店まで知られてる、ってことは、値段がばれてる、ってことだ。少なくとも同じぐらいのを選ばないと怒るし」
「そういうこと」
麻弥は、新作というセピアカラーのタッセル・ローファーを選んだ。値段は、孝子に贈ったものより、やや高い。
「これ、いいか?」
「いいよ。もっと高くてもいい」
「いや。これがいい」
「なら、いい」
極端に安いものを選ぶと、親友は不機嫌になる。極端に高いものを選ぶと、こちらが申し訳なくなる。まずは妥当な選択だったろう。




