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未知標  作者: 一族
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第九〇話 指極星(六)

 大丈夫、などという言葉は、不適切だったらしい。依頼を受けた応援歌に苦慮する孝子の実感だ。日常の隙間に、ふと難しい顔つきになっているのを麻弥に指摘される、ということが、ここのところ何度もある。

「あんまり根を詰めるなよ」

「詰めてるつもりはないけど。でも、難しいね。人の頼みは」

「そうだな。自分で好き勝手やるのとは違うな」

 そもそも孝子は、音楽に関わってきた時間からすれば、たった、と評していい三曲しか仕上げていない寡作の人なのだ。はっと思い付いて、すっと書き上げる、というふうにはいかない。

 作風との相性も悪かった。ミディアムにしてポップが、孝子の基本路線である。どのような形式であろうとも、気合いの入る曲、奮い立つような曲というのは、もちろん存在するだろうが、孝子の感覚になじまない。やはり、アップテンポ、そして、ロック、なのではないか。そんな考えに、孝子はとらわれだしている。はっきりと苦手な分野だ。

 鬱々としているところに年上の友人である郷本一葉が連絡を入れてきた。

「今週末、カラオケに行こう」

 およそ半年ぶりの勧誘だった。高校時代には一、二カ月に一度ぐらいの頻度だったものも、やはり、双方がよわいを重ねれば勝手も違ってくる。住居地が離れたことも大きいだろう。

 ところで、今回のカラオケは待ち合わせをせず、海の見える丘まで車で迎えに来てくれるという。きょうだいの父親、郷本信之が参加するのだ。亡母に次ぐ洋楽の師匠が登場と聞いて、一瞬、孝子は楽曲制作の苦闘を忘れていた。

 洋楽好きのそろう郷本ファミリーでも信之は別格だ。狭義の洋楽好きを超越して、世界の音楽に通じていた。また、若いころにアマチュアバンドを率いていた経験があり、ギターの演奏にも長けている。孝子にギターを手ほどきしてくれたのも彼である。

 郷本ファミリーとのカラオケの予定日は、静のLBA挑戦表明から、きっちり二週間後の土曜日となった。当日の午前一〇時過ぎ、海の見える丘の平屋の前にシルバーのセダンが横着けされた。待ち構えていた孝子が寄っていくと、助手席を降りてきた尋道が後部座席のドアを開けた。

「おじさま。ご無沙汰してます」

「孝子ちゃん、久しぶり。遅くなったけど、合格おめでとう」

 運転席には、相変わらず黒々とした頭髪の信之がいる。ヘアスタイルも、孝子の記憶にあるそれと寸分たがわない。……それは、まあ、いいのだ。

「これ、僕と家内から」

「ありがとうございます」

 渡された入学祝いののし袋を、孝子はさっぱりと受け取っている。

「本当は、もっと早くにお祝いしたかったんだけど。一葉が全然、取り次いでくれなくてね」

「一日中、家にいる人とは違って、私はそんなに暇じゃないの」

 ぴしゃりと返されて苦笑いの信之は、孝子に視線を戻した。

「今年の春で再任期間が終わって、一応、引退」

「そうだったんですか。お疲れさまでした」

 信之は舞浜市の職員だった。六〇歳で定年を迎えた後も、再任用で奉職していたが、このほど、その期間が満了した、というのだ。

「ありがとう。じゃあ、出そうかね」

 車が走り始めてすぐに、隣の一葉が孝子の肩をつついてきた。

「孝ちゃん。私たちに何か隠してない?」

「え……?」

 突然の指摘に孝子は戸惑った。心当たりがない。その真に迫った様子に一葉も眉をひそめる。

「お父さん。違うんじゃないの?」

「いや。違わない。あの声は孝子ちゃんだ」

「……ああ。歌ですか」

「なんだ。やっぱり隠してたんじゃない」

 隠していた、とは不本意な言われようだ。そもそも報告する義務もないというのに。しかし、友好関係にある郷本ファミリーに対して、あまりつっけんどんな対応もできない。いろいろあって、あのような仕儀と相成ったが――いろいろ、の部分に麻弥の名前をふんだんに用いて――自らの意向はほとんどなかった、というせこい説明で、孝子はこの場を乗り切った。

「へええええ! 麻弥ちゃんがねえ……!」

「私は含むところがあるので、当分、つつき続けますけど、あんまりからかわないであげてくださいね」

「大丈夫。人のほれたはれたには 興味ないよん」

 ここまで、ほとんどしゃべっていなかった尋道が、ちらと視線を孝子に向けた。

「岡宮さんは神宮寺さんの昔の姓だと記憶してるんですが、鏡子さんは……?」

 舞浜に来てから神宮寺家に養女に入るまでの約一年を、孝子は岡宮孝子として生活している。その時分を尋道は覚えていたのだろう。

「母の名が『響き』の『きょうこ』さんだったんです」

「なるほど」

「配信の予定は? CDは出る?」

「知らないです。歌った後は、なんにも」

「剣崎龍雅は、何も言ってこないの?」

「知らせてくれなくていい、って言ってますので。私、自分の歌も聴いてないですし」

「ええ……? 確認とか、しなかったの?」

 依頼で歌っただけなのだ。その彼が出来にオーケーを出したなら、以後、自分が関与する必要は、全くない。孝子の言に、一葉は両手で頬を押さえてうめいた。

「これは、すごい、とか、おめでとう、とか、言っていい雰囲気じゃない」

「そうですよ。せっかく楽しみにしてたカラオケなんです。つまらないことを思い出させないでください」

 郷本ファミリーとしては、アカペラで『逆上がりのできた日』を披露してもらおう、とでも考えていただろうか。とんでもない。たとえ師匠の頼みであっても、それは聞けない。冷静に、芽を摘んでしまう孝子だった。

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