第八八話 指極星(四)
話は、その後、静にも飛び火して盛大な脱線模様となった。特に那美が大暴れである。明らかに面白がって麻弥と静を、つつく、つつく。興味ない、の一言で身をかわすので、両者の反撃もまるで効果がない。
「おい。孝子、笑ってないで助けろ」
那美を膝の上に抱えて、麻弥の救援要請だ。
「天誅」
「くそ。那美、あいつも攻撃しろ」
「孝子お姉ちゃんって、私と同じできれい過ぎて隙がない。彼氏いない」
「……この顔か、あの顔で、この神経か、あの神経だったら、私の人生も楽しかっただろうな」
「私もお姉さんか那美さんの顔が欲しいです」
麻弥の隣の春菜がつぶやく。
「ああ。でも、私がどちらかの顔だったら、バスケットボールの女神になってしまいますね」
「お前の神経は、二人とは別の意味で欲しい気がする」
ここで、孝子が一人、なぜか笑いだしている。口を押さえても、一向に収まらない体の振動に、他は顔を見合わせている。
「おい。どうした」
「いや。おはるには、私の顔をあげたじゃない、って思って」
「あっ」
思い出したらしく、春菜も笑いだしだ。
「なんだ、お前まで」
「ちょっと待っててください。お見せします」
LDKを出た春菜は、すぐにスマートフォンを手にして戻ってきた。
「かなり、ひどいですよ」
画面には、いつぞやの孝子と春菜の合成写真が表示されている。麻弥は噴出し、静、那美は義姉のことだけあって笑いはしなかったが、目を丸くしている。
「なんだ。この、不気味な人間は」
「体育の、ソフトボールのとき、だったっけ?」
「はい。お姉さんが、私の体があったら、ソフトボールでホームランを打てるかな、って。私は、その顔に、この体は駄目です、って」
「確かに、駄目だ」
ひとしきりのさざめき合いの後、静がダイニングテーブルで差し向かいとなっていた孝子に、ずいと迫った。
「麻弥ちのせいで話が途中になっちゃったんだけど、お姉ちゃんにお願いがあるの」
「おい。私のせいなのか」
「何?」
無視して、孝子は応じる。
「私に、曲を書いてほしい。応援歌というか、気合いの入るような曲を」
「あ。かっこいい」
「おお。静のテーマ、みたいな感じか」
盛り上がる周囲に比して、依頼された者の表情は不変だ。
「おい。なんか言え。お前は黙ってると怖いんだ」
「え? ああ、もちろん、大丈夫だけど。頼まれて曲を書くなんて初めてだし、うまくいけばいいけど」
「映画のは?」
「あれは、前に書いたもの。映画のために書いたわけじゃなくて。ねえ、静ちゃん」
「うん」
「私の音楽の趣味、かなり古くて、今風の曲は書けないよ。激しい感じのも駄目。それでもいい?」
「大丈夫。『逆上がりのできた日』、私、好きだよ」
ふむ、とうなったきり、黙想にふける孝子だった。はばかって、周囲の四人も物音を立てない。
やがて、
「わかった。やってみる。あんまり、時間はないのかな」
「高三が時間のできる年明けに渡米して、って流れになるんじゃないでしょうか。まだ数カ月は余裕があると思いますよ」
「だったら、二月までに、かな。私たちのときは二月から自由登校になったし。これ。『悪女』」
「なんだよ、急に」
眉間にしわを寄せた麻弥が声を上げる。
「剣崎さんに、アレンジからレコーディングまでお願いしたら、どれくらいになるか、聞いてくれる?」
「え……?」
「あの人のアレンジを聴いた後だと、私のへぼアレンジでなんか、歌う気にならない」
「わかった」
「言っておくけど、ただは絶対に駄目だよ。必ず額を聞いて」
「おう。すぐに?」
「そうだね。剣崎さんにも都合があるだろうし、ひとまず、話を通しておいてもらおうか」
ここで、この日の、この話題は打ち止めとなった。続いては、剣崎の名から那美が一つ前の話題を思い出しての大暴れ、再び、であった。