第八六話 指極星(二)
いっときの興奮が去り、LDKには弛緩のときが流れていた。ダイニングテーブルに静と那美の姉妹、ソファには春菜が、これはだらりと体を預けている。孝子は手早くコーヒーを淹れ、麻弥が各人に配って回る。
カップを手にした麻弥が春菜の隣に、孝子がダイニングテーブルの姉妹の前に着いたところで、再び会話が始まった。
「まあ、まだまだ、先は長いんだけどね」
「どういう順序になるんだ?」
「静さんは、多分、変則的になると思います。というのは、LBAは原則として、高校から直接はリーグに参加できない規定になってまして」
「そうそう」
「じゃあ、どうするんだ」
「原則として、なんです」
「……例外がある、ってこと?」
封を開けたものの、口に合わなかったまんじゅうを静に押し付けながら、孝子が問うた。
「はい。リーグの許可があれば」
「テストか何かをやるのか?」
「そうなるでしょう。でも、大丈夫です。静さんなら余裕です」
「ありがとう。春菜さんにそう言われると、心強い」
孝子に渡されたまんじゅうに続いて、自らでも封を開いたまんじゅうを静は平らげる。
「もし駄目だったら、向こうの大学に行くつもり」
「それもいいですね。将来を考えたら、そちらがいいかもしれません。もちろん、バスケのレベルが上なのは、圧倒的にLBAですけど」
コーヒーカップを手にしたままで、春菜が立ち上がった。独白の再開だった。
「LBAは、比較対象の存在しない世界最強の女子リーグなんですが、それはなぜかというと、開催時期が他のリーグと違ってるんですよ」
一般に、バスケットボールは冬のスポーツとされる。世界最高峰のBA――The Basketball Association――米男子プロリーグも、開催は晩秋から翌年の初夏にかけてだ。それ以外の国のリーグも、多くが年をまたぐ形での開催となっている。その中で、LBAは初夏から初秋にかけて開催される。男子プロの盛り上がりに割を食わぬよう、かち合うのを避けた結果だが、この判断によってLBAは至高のものとなった。要点は、他のリーグがオフシーズンであり、有力な選手が参戦してくる、このことであった。
「他のプロスポーツだと、あまり聞かない話かもしれませんが、女子バスケはお金になりませんので。もちろん、理想は、オンとオフの切り替えをはっきりさせて、オフは休息と鍛錬に充てるべきなんですよ。でも、そんな贅沢をできるほどのサラリーを出してくれるリーグなんて、世界中のどこにも存在しません。なので、掛け持ちでも、なんでもします」
「静は大丈夫なのか?」
「お金は問題じゃない」
気遣った麻弥に即答の静だった。
「そうです。バスケットボール以外のことに気を取られていたら、この北崎春菜には絶対に勝てませんよ。全力でぶつかってきてください」
「もちろん、おばさまにはお話してるんだよね?」
「さすがにお母さんを差し置いたりはしない。長沢先生にも相談して、今日か明日か、各務先生に話してくれてるはず」
孝子の問いにも静は即答した。
「ああ。各務先生ならアメリカの大学にもつてがありますね。それをたどればLBAにもつながるでしょう。進学となった場合でも安心です」
「じゃあ、ひとまずは静観になるか。……ところで、那美」
「なにー?」
「春菜のほうは理解したんだけど、孝子はなんだったんだ」
発言者以外は虚を突かれて沈思だ。
「おい……。忘れてるのか。孝子にも、何か気に入らないことがあったんだろ?」
隣同士だった静と那美が顔を見合わせ、そして、大笑だった。
「忘れてた!」
「忘れるぐらいなら、大した話じゃなかったんだね。そのまま忘れてていいよ」
「駄目!」
「で、なんだったんだ」
再び、顔を見合わせて、そして、二人が同時に口を開く。
「岡宮鏡子!」
「……麻弥ちゃん。おはる。口封じ」
指令を受けて寄ってきた二人と、座っていた二人の間で、大騒ぎの勃発だった。




