第七四三話 花咲人(八)
ショートカットも乱れるほどの勢いで広山が待ち合わせ場所に突っ込んできたのは、午後八時きっかりだった。間違いなく遅刻、と思い込んでいた一同はそろって感嘆の声を上げた。
「広山さん。よく間に合いましたね」
「絶対に間に合わないと思ってましたよ」
ウェヌスの後輩たちが言えば、
「多分、そのまま来たんだ。ジャージーだし。シャワーぐらい浴びろよ」
それを孝子は茶化し、
「これは外行き。シャワーも浴びました」
広山の抗弁を経て、
「うそだな。多分、消臭剤、かぶってきてる」
最後は美鈴の悪口である。
「冗談はさておき、慌てなくてもよかったのに」
中学以来の付き合い同士がもめるさまを眺めながら孝子はつぶやいた。
「遅れませんよ。計算どおりです。社会人ですよ」
「社会人なら五分前行動だろ!」
美鈴の減らず口が広山の猛攻を招いた。
「広山さん。ほどほどにして、行こうぜ」
大勢は決したようなので孝子は仲裁に入った。岩花までは、途中の休憩などを加味した上で、およそ四時間かかる。なんとか今日中には着きたいものであった。よって、やめよ。
「はい。美鈴。命拾いしたな」
「うっせ。大女」
「やめろ、つってんだろ。さっさと乗れよ、この仲よしどもが。志摩さん。木崎さん。行ってきます。お土産は広山さんとミス姉に、たっぷり買わせますね」
走り出して、すぐに孝子は始めた。この旅行を満喫するため、つまらない話は、さっさと済ませてしまうに限るのだ。
「広山さん」
助手席の広山に声を掛けた。
「はい」
「春菜に言っておきました。全日本に戻るように、って。次の合宿からは顔を出しますよ」
「おお。たーちゃん。仕事が早いな。まだ言ってなかったよな?」
後部座席の美鈴が身を乗り出してきた。
「ミス姉には、聞いてないね」
「郷君か!」
「それもあるし」
もとより察していた、というのもある。格別、親しいわけでもない相手が、突然、温泉旅行に同道したい、などと申し出てきたのである。何か思惑がなければ不思議だった。
「すみません」
視界の端に小さく頭を下げる広山が見えた。
「いいんですよ。広山さんは熱い人さ。古い話だけど、私、ユニバースの試合って、ほとんど見てないんですよね。全日本を応援する気持ちとバスケットボールに対する興味は別、って」
「はい」
「でも、決勝だけは見ました。中村さんや広山さんのことが気になったんだ。アジア選手権、だっけ。そこで勝てなかった人たちのことが。もう、三年ですか」
「そうですね。アジア選手権に私たちが負けてからだと三年たちました」
今は昔の感がある。三年前の夏、当時の中村憲彦ヘッドコーチ率いる全日本女子バスケットボールチームは、四年に一度のスポーツの祭典、ユニバースこと「ユニバーサルゲームズ」の出場権を懸けたバスケットボール女子アジア選手権大会決勝を、取りこぼした。マイナースポーツにとっては痛恨の逸機といえた。なんとしても挽回しなければならない――これより始まった中村、広山らの捲土重来劇を、孝子は好ましく見守っていたものだ。
「熱い人は好きだよ。だから、できる限りは協力します」
「ありがとうございます。頼りにさせていただきます」
「任された」
「たーちゃんよ。各務ヘッドも、大概、熱い人だけど、あの人のお誘いは、なんで蹴ったん?」
全日本のスタッフに、と言ってよこした各務を、一〇〇億ドルなる法外の要求で袖にした件について、美鈴が問うてきた。
「できる限り、って言っただろ。スタッフとか面倒くさい。春菜に話を付けてくれ、だったら、電話で済むし」
「じゃあ、ヘッドが、力を貸してくれ、ってだけ言ってたら、よかったんか?」
今更の訂正は認めないが、その可能性は否定できない、ものの。過ぎたことだ。一連の話は、これにて終了とする。以後は楽しい発言しか認めない。孝子は、そう、宣言したのであった。




