第七四二話 花咲人(七)
「何をやってるの。あの人は」
引きつれた美鈴の声を聞いて孝子は失笑した。東京都大港区はウェヌス株式会社に広山を訪ねたところ、当の人、温泉旅行で空く分まで練習を、と待ち合わせの午後八時になんなんとしてもなお体育館にこもっていたのであった。
「悪い、美鈴。さっきも、そろそろ上がったほうがいいですよ、って言いに行ったんだけど、あの人、ぎりぎりまで、とか言って」
ウェヌススプリームスの志摩瑞穂が事情を説明する。志摩はチームメートの木崎美桜と共に正門前で孝子たちを待っていた。二人は、かつての『中村塾』生で、孝子とも旧知の間柄だ。
「いや。ぎりぎり、じゃなくて。身だしなみとか考えたら、アウトでしょう」
美鈴が口をとがらせた。
「そうなんだけど。真面目だから、広山さん。行ってくる」
「いいですよ」
走りだそうとした木崎を孝子はとどめた。
「真面目な人には、何日か空ける、ってたまらないことなんだろうし。存分にやらせてあげてくださいな」
「わかりました。あの、でしたら、寮にいらっしゃいませんか? ただ、構内に入るときは、ちょっと書類を書いていただかないといけないんですが」
「面倒くさい。ここでいい」
「ですか。すみません。立ちっぱなしで」
「木崎。今のうちに、あれ」
「あ。そうだった。姉さん。プレゼントがあるんですよ」
志摩と木崎は正門脇の守衛室に引っ込み、ややあって、それぞれ段ボール箱を抱えて出てきた。表面には「美茶」とある。茶系飲料の名だが中身も同じものなのか。
「うわさで、姉さん、お茶が好き、って聞いて。うちが出してるやつなんですけど」
「お。美茶ってウェヌスさんが出してたんだ。よく買うけど知らなかった。うれしい。ありがとうございます」
早速、いただく、と孝子はラゲッジに置いた箱から一本、取り出す。
「たーちゃん。私にもくれ」
「勝手に飲め」
「おう」
ペットボトルを傾け合う二人の横でウェヌスの二人が語りだした。
「温泉とか、当分、入ってないわ」
「私も子供のころに家族で旅行に行って以来ですね」
「なかなか、こういう職業だと行くタイミングがないよね」
「ですよね」
「駄目だな。余暇は積極的に作りにいかないと。ひょんなことでバスケに役立ったりするかもしれないし」
「しますかね?」
志摩の問いに孝子はうなずく。
「池田の佳世君とか。八月でしたっけ。あの子、全日本の合宿を蹴っ飛ばして、私たちと遊びほうけたことがあって」
「ああー。監督が大激怒してたやつだ。追放、って」
「平然としてましたよ、あの子。各務先生を向こうに回して、その態度なら、開眼したとみなしていい、って。おはるが。元々、才能は図抜けていた子ですし。加えて肝が据わったなら、怖いものなしだ。佳世君、来年からLBAですよ」
「え!?」
初耳だったようで美鈴も含めた異口同音が驚嘆の声を上げた。
「アートの、例外条項か。あれでロザリンドが取るんですって。あと、高遠のさっちゃんも」
「高遠? あいつ、今年、舞姫にいないみたいですけど、それが理由で?」
「ええ。お二人も油断していると危ないですよ。おはるが太鼓判を押した以上は、さっちゃん、全日本に食い込んでくるはず。今回の全日本から、おはる、佳世君、さっちゃん、あと、須之ちゃんも戻ってくるかな。一気に四枠も入れ替わっちゃう」
沈思は、志摩と木崎、それぞれ自分の序列を計算しているものか。
やがて、
「やっぱり、姉さんが関わると、動きますね」
感嘆の声は木崎だった。大いに志摩もうなずいている。
「それほどでもある」
「お茶を送り続けようかな。木崎美桜を、よろしくプッシュしてください、って」
「任せて。各務先生に言うよ。木崎美茶さんを選びましょう、って」
「名前ー。名前、間違ってるし」
「おっと。うっかり。木崎緑健茶さんでしたっけ」
「それは、うちの製品じゃないし」
戦闘、というか、じゃれ合いは、待ち人の来るまで続いたのであった。




