第七四一話 花咲人(六)
折あしく発生した事故由来の渋滞で足止めを食らった尋道が、東京エアポートホテルに入ったのは、予定より二時間遅れた午後六時半だ。大遅刻だった。バスケットボール世界選手権大会を終え、帰国してくる全日本女子バスケットボールチームの出迎えおよびそこに含まれるカラーズ関係選手たちの送迎にやってきたのだが、出迎えどころか帰国に際して行われた会見までも終わっていた。取るものも取りあえず選手たちの元へと走る。神宮寺静、市井美鈴、伊澤まどから三人はホテル一階のラウンジで待機しているという。
む、と尋道はラウンジに入った瞬間、うめいた。窓際のテーブルに着いていたのが、三人、ではなかった。四人いる。全日本キャプテンの広山真穂だ。迎えの遅れている三人に付き合っているのか。とすれば、周囲に広山の関係者らしき人影が見当たらないので、単身、居残ったらしい。幸い、尋道は伊央の大型SUVに乗ってきた。大人を五人乗せての送迎にも対応できる。
「遅くなりました」
瞬時に考えをまとめた尋道はテーブルに近づいた。一面に敷き詰められた食器の中身は、半ば以上が残っている。食事を始めて間もなくだったようだ。
「おお、郷君! 大変だったな!」
美鈴が立ち上がって尋道を迎える。
「ええ。都市高速に入っていたもので進むも引くもならずになって。時に、市井さん。広山さんは、お一人で?」
「ああ。タクシーで帰る、って言ってるけど、車、乗れそう?」
「大丈夫です。伊央さんの車を借りてきましたので」
「お。伊央君の車なら余裕だな」
ここで尋道は威儀を正した。
「全日本女子バスケットボールチーム、準優勝おめでとうございます」
「イエーイ。まあ、決勝は完敗だったけどなー」
応じたのは美鈴だ。全日本女子バスケットボールチームは、決勝戦の相手であるアメリカ女子バスケットボールチームに大差で敗れている。
「おばさんが、動く、動く」
おばさん、が指すのはアメリカ女子バスケットボールチームの大ベテラン、シェリル・クラウス、その人に違いなかった。
「正直、二年前のユニバースの時より、全然、いい。新戦力もえぐいし。やっぱり、春菜がいないとな」
そこで、だ、と美鈴が続けかかったところだ。
「美鈴。座っていただいたら」
広山の年長者らしい配慮がきた。
「おっと。ごめん、ごめん」
立ち話が終了し、尋道は三人がけの座席の中央に導かれた。
「郷君。何か、飲むか?」
右隣の美鈴が問うてきた。
「では、ホットコーヒーでも」
「ほい」
注文が済んで、美鈴が再び始める。
「広山さん、ね。週末にたーちゃんと、私と一緒に温泉旅行に行くんだけど、折を見て頼むつもりなのさ。春菜に、全日本に戻るよう、言ってくれないか、って。キャプテンとして」
「ほう」
「旅行の話は知ってた?」
「知りませんでした」
「そっか。で、ね。たーちゃんといえば郷君でしょう。アドバイスしてあげて。うまくいくように」
それが目的であったか。
「なるほど。といって、簡単ですよ。逆らわない。この逆らわない、が意外と範囲が広くて、ですね。例えば、何か、高価なプレゼントをくれるというので遠慮したら、これも逆らったことになりますので」
大笑いするのは美鈴のみだった。無言の他の三人には理解し難い境地だったらしい。届いたコーヒーを味わいつつ、三人の、いや、静とまどかは関係ないので、広山の咀嚼を待つ。
「わかりました」
やがて、広山が口を開いた。
「努力してみます」
「お願いします。まあ、そんなに身構えなくても大丈夫かと思いますがね。同年代では一番気の合う人が一緒なので。市井さんに任せておけば、うまくまとめてくれますよ」
「お。私か。私かなあ。一番ならマーヤちゃんとかいるじゃん?」
何を言っているのやら。神宮寺孝子と正村麻弥の相性は、はっきりと悪いだろう。天才肌の奔放な言動は常識家の堅実な思考からすれば、ただただ危なっかしく、逆であれば、ひたすらまどろっこしい。そういうものだ。
「えー。だったら、私も天才肌か?」
「おおむね」
「じゃあ、郷君も天才肌か」
「僕は違います。僕は常識家」
「でも、たーちゃんと相性抜群じゃん」
抜群ではない。その言動については思うことも多々あるが、それら黙殺してでも付き従うべきカリスマと信じている。神宮寺孝子を、だ。同じ境地にはいない者ばかりと思われるので、ただ割り切れるか否か。最終的に、孝子との交渉について尋道が授けられる助言は、これとなる。




