第七四〇話 花咲人(五)
孝子と那美の戦闘が終わったころには、当然のごとく尋道と清香の交渉も終わっている。
「二人とも!」
突撃してきた那美を清香に押し付けて尋道は言う。
「我ながら見事な錬金術だ。サーヤさんに払った賃金が家賃として返ってくるわけですからね」
「また悪知恵を」
「いいのよ。というか、ね。郷本君が言ってくれた家賃だと、全然、このあたりの相場よりも安いでしょう。どうせ残す当てもないんだし、もっと高くしてくれていいのよ。孝子ちゃんたちのお役に立てるなら本望」
「残す当てがない、って。サーヤちゃん、子供いないの?」
子のない夫妻の、原因の側、と自称した人に対する禁句であったろう。これは事前の伝達を怠った孝子たちの不手際といえた。
「残念ながらいないのよー」
「仕方ないな。私が相続しよう」
愚妹の、思いも寄らぬ発言だった。かの尋道すら目を見張っている。
「あら」
「うちにいたって私には何もないし」
「え?」
「うちは上が総取りだから。古い家なの」
視線が孝子に向けられた。総領娘だと誤解されているのだ。説明がおっくうなので否定も肯定もせずにおく。
「そうなんだ。だったら、継いでもらおうかな」
「いいね!」
「まあまあ」
尋道が出てきた。
「さすがに早計ですよ。相続ということは、お金だけの関係じゃなくなっているんだ。もっと真剣に考えないと」
孝子もうなずく。
「自分の妹を捕まえて言うのもなんですけど、正直、軽はずみな子です。時間をかけて相性を探っていくべきです。この提案を無視するなら反対を母に訴えます。母は、私の言であれば、絶対にないがしろにしません」
怒濤の連携は那美と清香の意気をくじいた。
「そうだね。まずは、もっとお互いを知っていくべきね」
「はーい」
場面は移り変わって、孝子が運転する車内だ。先行する清香の車を追っている。かねて約束のあった孝子の司法試験合格を祝す食事会に向かっている最中である。
「しかし、とんでもない話が出てきましたね」
ふとつぶやいたのは尋道だ。
「いずれサーヤちゃんも気付くよ。このがきは駄目だ、って」
「どうでしょうね。あなたがかわいくて仕方のない方ですし、あの程度、なんでもない気もしますが」
「どういう意味」
「お察しのとおりの意味ですよ」
軽くかわされたので、軽く隣の男の肩をぶっておく。
「神宮寺さんは、どのように受け取られました?」
「いいんじゃない? ナミスケが言ってたみたいに、神宮寺さんの身代は総領娘の総取りになるし」
神宮寺家の総領娘とは養女の孝子ではもちろんなく長女の静を指す。
「やはり、そうなりますか」
「なる。堅い人よ。おばさまは。さすがにナミスケをほっぽり出したりはしないだろうけど、でも、身代には指一本触れさせないね。金だな」
「あなたは?」
「養育していただいただけで十分。断る。あえて、って言われたら、籍を抜く、って言う」
「なるほど」
「まあ、見守るしかないね。それより、店子やろうは、リューイチ・セキは、どうしたの。何かあった?」
「『双葉の塔の家』のご近所になるんですが」
唐突に何を言い出した。この男は。続きを、待つ。
「いい物件を見つけた、とかで。そこに自宅兼仕事場を建てます」
「決定?」
「決定。もう土地を買ってます」
思いも寄らぬ、わけでもなかった。関と、尋道の姉の一葉が、交際中であることは孝子も承知している。
「へえ。前に言ってた、二世帯?」
「ええ」
「君は、どうするの?」
「せめぎ合い中です」
何が、というと、長男の同居を希望する郷本家の人たちと、断固、拒否の構えを貫く尋道との、だ。
「どうして。双葉キャンパスの近くだったら、カラーズの新社屋にも近いし、いいじゃない」
「嫌ですよ。こじゅうと生活なんて。僕は居残って自由を謳歌するんです」
「自由はいいよね。突然、遠出をしたって、誰にも、何も、言われない。フリーダーム!」
「そうそう。朝食を抜いたって、怒られないんですよ。フリーダム」
野放しにしてはいけない者同士の会話は続く。食事会の会場は、たっぷりと遠く、たわいない話をする時間は、十分にある。




