第七三六話 花咲人(一)
那古野へ孝子の車を回収しに出向いた尋道が、舞浜に戻ってきたのは正午過ぎだ。朝一から行動したかいがあっての早い帰還となった。
孝子に車を引き渡した後の尋道が次に向かった先は舞姫館である。舞姫に那古野土産を渡すことと、もう一点、高遠祥子の近況を確認するために訪ねた。麻弥とみさとのカラーズ復帰が、当面、なくなったため、現状、自分以外で唯一の戦力となる祥子の動向は、気に掛けておくべき事項となる。というのも、祥子、多忙のはずなのだ。カラーズの業務に加え、自らのバスケットボール選手としての活動、さらには静にくみして「至上の天才」、北崎春菜と対決する挑戦もある。特に二つ目と三つ目は難事だった。いっぱいいっぱいとなっている可能性が高かった。懸念どおりであるならば、増員案を具体的に進める必要があろう。
舞姫スタッフとの交流もそこそこに、尋道は祥子と相対した。那古野土産で一服を勧め、手を止めさせる。
「高遠さん。どうですか。最近、忙し過ぎたりしませんか」
「大丈夫です」
虚言だ。尋道は断じた。自分の見立てと、大丈夫、との間には相当の間隙がある。
「井幡さん」
舞姫島の井幡由佳里に声を掛けた。
「はい」
「どうですか。こちら、寸暇を惜しんで働いたりしていませんか」
失笑が見えた。
「なんとお返ししていいやら」
双方への手前がある、と言いたいわけだ。
「そのおっしゃりようが答えになっていますがね。予想どおりですよ。カラーズの業務がありますよね。バスケの練習がありますよね。北崎さんの研究がありますよね。忙しくないわけがない」
「はい。夜遅くに、大あくびしながらパソコンに向かったりしてますよ。ただ、察してあげていただきたいと思います。高遠、カラーズさんの主力が復帰されるというので、脅威を感じているみたいな」
「ああ。そのこと。ぽしゃったので気にしなくていいのに」
「え!? 何か、あったんですか!?」
「これまでの同僚に、いきなり上下が付くのは、やりづらかろう、と。お互いに、ですね。僕は気にしないのですが、配慮は、ありがたく受けましょう、と」
今回の流れをはたから眺めれば、立派な内紛だろう。外部に漏らすべきではなかった。祥子には折を見て話せばよい。
「ははあ。では、神宮寺さんがカラーズに復帰された暁に、改めて、と?」
「おそらく」
そう、はならないだろうが、こう、としか言いようがなかった。尋道は祥子へと向き直った。
「お聞きのとおりです。当面、カラーズの業務は控えて構いません。余暇を持つように」
「でも、郷本さん。お一人では手が足りないんじゃ?」
「大丈夫です。増員を考えています」
「え」
祥子が顔をしかめた。
「正規ではありませんよ。パートとアルバイトです」
「既定路線だし!」
違う。祥子の状況次第だった。
「忙しいけど充実してます、なんて言われていれば採用は控えましたよ。でも、大丈夫、って即答された瞬間に、ああ、無理している、と思いましてね」
「あああああ」
祥子は天を仰いで転覆状態だ。
「鋭気は買いますがね」
「郷本さん。では、求人は、これからですか?」
こちらは舞姫島の雪吹彰だ。
「いえ。一本釣りです。見ず知らずの人を入れて、コミュニケーションから取っていくのは、さすがに面倒だ」
「どなたです?」
「まだ声を掛けていないのでね。本人より先に周囲が知るのは、どうかと思いますし、黙しておきますよ」
「確かに。失礼しました」
尋道が考えていた候補は、パートが黒須清香で、アルバイトが神宮寺那美だ。清香を取り込むことで強大な桜田閥との関係を維持する狙いがある。直接、黒須と絡めば、ほぼ確実に発火する孝子も、清香との相性なら悪くない。奏功するはずだった。また、清香と、孝子に通ずる気性を持つ那美との相性は良好とみる。けだし妙手となってくれればよいが。さて。




