第七三二話 よいよいよい(二八)
いいかげん、くどい。孝子、みさとに加え松波家の人たちがそろっただんらんの最中だった。隣室で一眠りする尋道の様子を、と言い出した女に、孝子は一喝を食らわせた。通算三度目となる行為の魂胆はわかり切っていた。みさとは、尋道が依田相手に、どのような虚々実々を尽くしてきたのか、を知りたいのだ。つついて、休息を妨害するに決まっている。
「行かなくていいよ。てめえは、さっきから、何度も。しつこいんだよ。郷本君、せっかく寝てるんだし、邪魔をするな。放っておけ」
重低音がLDKに響く。
「こら。斎藤さん、郷本を心配して言ってるんでしょう」
恩師の叱声に孝子は反ばくした。
「違いますー。この女、これっぽっちも心配なんかしてませんー。好奇心だけですー。こう見えて、結構、勝手ー」
「そんなことないってば」
「どうでしょうね」
声は、隣室から聞こえてきた。ふすまが開いて、寝ぼけ眼の尋道が登場する。
「あれ。郷本、起こしちゃった?」
「起こされましたね。ただ、先生ではないです。直接の原因は神宮寺さん。でも、斎藤さんが僕に構おうとしなければ、神宮寺さんも声を荒げる必要はなかったわけでしてね」
特大の嘆息を挟んで尋道は続けた。
「まあ、いいでしょう。過ぎたことです。さて。僕は、これで、おいとまさせていただきますよ」
「お前、そんな眠そうな顔して。もう少し寝ていけ、って」
長沢が気遣わしげに言う。
「そうしたいのはやまやまですが、こちらでは落ち着けません。それに、車を今日中に返さないといけない、という事情もありましてね。ああ。あなたは」
がたりと立ち上がったみさとを尋道は制した。
「神宮寺さんに送ってもらってください。僕は休み休み行きます」
「今日、郷さんに来てもらったのは私のわがままだったし。最後まで付き合います」
「無用です」
「でも」
「言い直しましょう。迷惑です。邪魔、でもいい」
なんとも、どぎつい三連発だった。趣旨は、とっさに理解できた。問題は、言い回しだった。尋道氏、相当、虫の居所が悪い。
「郷本。なんだ、その言い草は」
「先生。郷本君が乗ってきた車、マニュアル。で、斎藤さん、マニュアルは運転できない。休憩で待たせるのとか、結構、気兼ねするし」
「私は」
「今は、この人の都合の話をしてるんだよ! てめえは黙ってろ!」
言いかけたみさとに孝子は大音声で覆いかぶせた。見掛けによらぬ武闘派。怒らせたら恐ろしい男を、これ以上、刺激するな、と言いたかった。
「郷本君。私が一緒に行こう」
立ち上がり、尋道のそばに寄る。
「車、代わりに運転してあげよう」
それだけではない。大サービスだ。返却まで請け負う。
「恩に着ろよ」
「着ます。が、そちらの車は、どうされます?」
ナジコ・シータも、またマニュアルトランスミッションの車だ。孝子と尋道が行動を共にしては、一台、あぶれてしまうが、と尋道は気にしている。
「仕方ない。置いていくよ」
幸い松波宅の造りは立派であり、駐車スペースも広い。
「先生。車、とめさせておいてください。明日にでも取りに来ます。それから斎藤さんを駅まで送ってあげていただけませんか?」
「いや。そんな、仲間はずれみたいにしないで一緒に帰れよ」
「長沢先生。僕が斎藤さんに憤慨していることぐらい察せられるでしょうに。それとも、なんですか。僕に対して含むところでもあるのですか」
いけない。長沢にまで毒を吐きだした。錯乱しつつあるのだ。孝子は顔をしかめて両手で大きくばつを作った。もはや何事も、この男には言ってくれるな、という表明だった。
「郷本君! 構わなくていいから! 行くよ! 帰ろう!」
「はい。車は僕が責任を持って、ご自宅までお届けしますので」
「はいはい」
危険物の取り扱いは迅速さが命である。全てを捨て置いて孝子は尋道を引っ張り出した。炸裂してからでは遅い。突貫する。




