第七二八話 よいよいよい(二四)
ナジコ・シータを駆った孝子が、舞浜市椙山区の剣崎宅に麻弥を訪ねたのは、週末の早朝、午前七時だ。拾って、一路那古野を目指す。愛車の一カ月点検を受けるためである。
マンションの車寄せに乗り入れると、いた。エントランスに、麻弥と、その同棲相手の剣崎が並び立っている。
「剣崎さんもいらっしゃるんですか?」
降り立った孝子は問いを発した。
「まさか。お見送りだよ」
「あれ。斎藤は?」
麻弥が声を上げた。この日の予定にはシータの一カ月点検に加えて、カラーズの新たな社用車候補であるレネットを試乗する、というものもあった。レネットは、ほぼみさと専用となる予定で、その本人が不在では始まらないわけになる、が。
「別口で行くんだって。やっぱり、この車に三人は乗りたくない、って」
仕様上、シータは、一応、四人乗りとなっている。ただし、後部座席は狭く、子供でも乗車は厳しい。クーペタイプの常だった。
「誰かさんのせいだな」
みさとと二人で向かうはずだった那古野行に、ここぞと割り込んできた車好きを孝子はなぶった。
「なんだ。言ってくれたら遠慮したのに」
「どの口が言うの。斎藤さんは言ってたでしょう。三人は、きついよ、って。それなのに、お前が、ごにょごにょするから、仕方ない。あの人、折れてくれたんじゃない。がきが」
麻弥の眉間に、きつくしわが寄った。どうくるか、と待ち構えていたら、麻弥め、ぷいときびすを返したではないか。笑わせてくれる。まさに、がき、だ。
「あの子、おうちでも、あんな感じなんです?」
剣崎は苦笑を浮かべた。
「全然。ちょっと物足りないぐらいには奥ゆかしいよ。ケイティーと一緒にいるときの活発さを出してくれてもいいんだけど」
「猫をかぶってるな。でも、仕方ない。剣崎さんの気を引こうとして髪を伸ばしたような子ですよ。やつの中では、これ、っていう理想像があるんでしょう」
剣崎の苦笑は続いている。
「そうだ。聞きました? 斯波さん、ほぼ決定らしいですよ」
「うん。聞いた」
苦笑がほどけた。
「農業とは、あいつも、思い切ったもんだ。でも、いいね。岩城さんのところで、っていうのが、さらに、いい」
「涼子さんも決めたし、私も本腰を入れて応援しますよ」
「お。あいつ、まだ返事はもらってないみたいなことを言ってたけど」
「割と最新の話題です。時に、剣崎さん。岩花には、もう行かれましたか?」
「それが、まだ。ここ最近、忙しくてね」
「何をやってるんですか。友人でしょう」
孝子はマンションを見上げ、はるか上層を指した。一五階建ての一四階が剣崎の住居だ。
「今日は、置いていきますので、連れて、行ってきなさい」
「今からかい!?」
「全部、あの子に運転させれば、そんなに疲れませんよ」
「そうだねえ」
うめきながら、剣崎は腕組みだ。
「ついでに、道すがらに説いてくださいな。うちでの奥ゆかしさを外でも出すように、って」
「そんなことを言ったら、怒らないかな」
「怒りはしません。かえって、怒られた、って、しぼむだけです」
そういう女だ。孝子の知る正村麻弥は。
「駄目じゃない」
抗議の声を鼻で笑う。
「そこは、さじ加減ですよ。というわけで、行きます。岩花、今日でなくてもいいですから、行ってくださいよ」
「うん。まあ、今日だろうね。麻弥ちゃん、しょんぼりしてるだろうし」
「お気を付けて」
「ケイティーも」
剣崎と軽く右の手のひらを打ち鳴らし合った後、孝子は車に乗り込んだ。直ちに発進させる。ルームミラーには手を振る剣崎の姿が映っていた。シータに付いてマンション前の歩道まで出てきた彼は、長くその動作を続けていたことである。




