第七二六話 よいよいよい(二二)
麻弥のしかつめらしい苦言が始まった。尋道の社長就任について、ではなく、養母を軽視した振る舞いを、不徳、と責められるのは、やや予想外ではあった。
不徳か。合格報告を怠った点は、一歩を譲って、そういうことにしてもよい。が、独自の態勢づくりについてあげつらわれたのは、断じて気に入らない。こちらの腹案のほうが絶対に優れている。
「それは、ない。相手はおばさんだろ」
「ある。いくらおばさまだろうと、正隆先生にはかなわない」
「誰だよ」
「正村。黙って」
みさとが思案顔だ。高名な法曹家の、その名に思い至ったのか。
「神宮寺。その、正隆先生、っていうのは、もしかして、鶴見正隆先生?」
「そう。なんの取っ掛かりもなしで、よくわかったね」
「一応、舞浜で士業に関わってる身さ。ぴんとこなけりゃ、うそだ」
「同じ身の上の、この子はなんにも思い付かなかったみたいだけど」
孝子は右手の人差し指を麻弥の鼻先に突き付けた。
「だから、誰だよ」
「鶴見正隆法律事務所の所長さん。有名な弁護士さん。鶴見智美のおじいさま。正隆先生のコネで、私、司法修習は舞浜になりそうなんだ。やったね。いくらおばさまでも、そこまでは絶対に無理。私の勝ち」
「コネがないと、どうなりそうだったんだ?」
「北は北海道。南は沖縄」
麻弥が詰まった。
「それは、つらいな」
「そうだよ。麻弥ちゃんは、私が北海道で凍え死んでもいい、っていうの?」
「お前、寒いの苦手だもんな」
取りあえず麻弥も納得したようなので、先に進むとする。
「郷本君。司法修習が一年ぐらいだから、社長の任期も、同じでいい?」
「就任だけ、少し前倒ししていただきましょうか。修習の開始間際になっては、いろいろと繁多になりかねない」
「じゃあ、今日から」
「構いませんが」
「退任も先送りして、そのまま居座ってもよくってよ?」
「そちらは遠慮します。あなたを仰がないカラーズなら僕は辞めます。在任中の方針はいかがしましょう?」
言うことが大仰だ。孝子は苦笑した。
「任せるよ。そうだ。新社長に、方針決定の材料になるかもしれないねたを、一つ、伝えておこうか」
「何かありますか?」
「私には関係ないけど、カラーズとして扱えそうなら利用したらいい。私、サーヤちゃんとは、まだつながってるから」
「サーヤちゃん?」
思案顔の尋道は、やがてはっと息をのんだ。
「なるほど。斎藤さん。謎は解けましたよ」
「ああ。黒須さんの奥さまが、すごい淡々としていたのは、これか」
「会ったの?」
高鷲重工の大立者、黒須貴一の紹介で、みさとを同社のCFO室に送り込む、という話があった。紆余曲折を経て、これは辞退の運びとなり、仕掛け人の尋道ともども、わびを入れるべく黒須宅を訪ねた際に覚えた違和感を、みさとは語る。
「はいはい、それはそれは、みたいな感じで、奥さま、軽くて。黒須さんが、すごく残念がっていらしたのとは対照的だったのよね」
「司法試験の結果を報告した時に言われたの。奥さまのままだと、何かあったときに巻き込まれて疎遠になるから、別の呼び方にしておくれよ、って」
「それで、サーヤちゃんか。奥さま、清香さん、だっけ」
「うん」
「どうします?」
「両輪」が顔を見合わせた。
「せっかくのねたなのでね。機会があれば、有効利用させていただくとしましょう。ただ、当分は寝かせておいていいでしょう」
「ですね。昨日の今日じゃ、風見鶏に過ぎる」
預けたねたである。好きにさばけばよい。
「そうそう。今度、サーヤちゃんに、司法試験のお祝いをしていただくの。おいしい魚介をごちそうしてくれるって。あの方が知っているお店なら期待できるよ」
「いいなあ」
「君たちも押し掛けてこいよ。おごってもらおうぜ」
「それは図々しいだろう」
舌打ちである。マヤ公め。話の腰を折りやがって。自己の規範に反するものとみれば、取りあえず一言あるのは昔からの挙動だが、実に興をそぐ。
「じゃあ、いいよ」
このような会話は、疾く打ち切ってしまうに限る。そして、次回以降は、はなから打診すまい。二度と。さすれば金輪際、不快の思いをせずとも済む。決定だ。




