第七一話 姉妹(二四)
那古野行から帰還した後も、静は海の見える丘にいた。依然として妹とべたべた、しているわけではなく、バスケットボールの練習を再開したのだ。春菜を介して舞浜大女子バスケ部に練習への参加を申し込み、許されるや、毎日、通っている。理由は、那古野で触れた北崎春菜の逸話群と、何よりも、その人柄に刺激を受けたためである。
そして、もう一つ。
「今年、っていうか、来年ですけど、もしかしたら、北崎さんと神宮寺さん、もう一回対戦できるんじゃないですか?」
言い出したのは佳世だった。時間をさかのぼって、那古野二日目、朝食の席での一こまだ。
「なんで」
「全日本選手権で」
全日本バスケットボール選手権大会は、プロチーム、実業団チーム、クラブチーム、学生チームといった垣根を全て取り払ったオープン・トーナメント形式で行われる、バスケットボールの実力ナンバーワンを決める大会だ。開催時期は、年始早々となっている。
なぜか春菜は、この話題への反応が、やや遅れた。
「今年は鶴ヶ丘が総体で勝って、出場権を持ってるじゃないですか」
追加の説明に得心のいった春菜は、あー、あー、とうなっている。
「そうですよ。そうです、静さん。うまくいけば、対戦できますよ」
「なんで、お前、そんなに反応が鈍いの」
汁わんを手に、麻弥が問う。
「いえ。私、全日本選手権に出たことないもので。出場資格とか、よく知らないんです」
「高校総体の優勝が出場条件なら、お前がいたころのナジョガクは余裕だったろ……?」
「お正月は帰省して、冬休み明けまで学校には顔出してませんので」
「帰省って、お前んち、ここじゃないか……!」
「私にはお雑煮のほうが大事だったんです」
「よく、それで問題にならなかったな」
「ならなかったですね。ナジョガクでは、あのおじいちゃんの決定が全てです。私のことは、どうでもいいんです。それよりも、静さん。対戦ですよ」
そしゃく中だった静は、手で、待て、と合図し、食物を飲み下してから口を開いた。
「えー。でも、全日本選手権でしょう……? 途中で負けますよ」
「鶴ヶ丘の組み合わせ次第ですね。楽なところと当たればいいんですけど」
「春菜さんたちは?」
「こちらは大丈夫です。鶴ヶ丘さえ上がってきてくれれば、どうにでもなります」
「どうするのさ」
「ファウルアウトさせます。極端な話、残り一人まで減らせば、こっちの勝ちですので」
麻弥が静を見た。
「……できると思うか?」
「……春菜さんなら、もしかしたら」
「今までに、したことはあるの?」
黙って聞いていた孝子が、ここで口を開いた。
「いいえ。そこまでして勝ちたいとも、負けたくないとも思ってませんので。でも、今年の鶴ヶ丘と戦えるなら、話は別です。面倒な相手と当たったら、お目にかけますよ」
んふふ、と笑う春菜に、給仕をしてくれていた春菜の母以外の全員は、ただただ、ぽかん、とするばかりだった……。
一方、静がバスケットボールに熱中しだしたことで、那美は不満顔だ。姉の体調を心配する気持ちが九割で、残りの一割は、構ってもらえる時間が減る、だった。運動禁止って言われてるのに、という主張は、医師である父親経由で取得した診断書により封じられてしまった。かくして、海の見える丘で留守番の那美は、孝子と麻弥を相手に愚痴の量産中である。
「大学に見張りに行くか? 各務先生に頼んでやるよ」
「愚痴発生マシン」の扱いにあぐね果てた麻弥の提案だ。各務先生にお伺いしてみる、と、同じくあぐね果てていた孝子は、那美が返事をする前に動いている。
体育館で三人を迎えた各務は、手に真新しいジャージーを持っていた。舞浜大学女子バスケットボール部のジャージーだ。
「那美。静がうちで練習している間、マネージャー、やってみるか」
練習を休んでる間は構ってもらえていたものが、またバスケに戻っていったので、寂しがっている。この孝子の説明に対する、各務なりの心遣いだった。
早速、マリンブルーのジャージーに身を包むと、那美は静の下に走り寄る。
「見て、各務先生にもらった!」
得意満面で胸を張る姿に、静と春菜は目を丸くしている。気難しい義姉や、生真面目のきらいのある長姉と比べると、この末妹は無邪気で陽性の、誠に幸せな性質をしていた。




