第七一六話 よいよいよい(一二)
先頭を切って到着ロビーに乗り込めば、いた。迎えの人たちの中に義姉の細い肢体だ。静は一目散に突っ込んでいった。
「朝っぱらだっていうのに元気が有り余ってるね。家まで走って帰れるんじゃない?」
孝子は笑っている。午前五時過ぎに全力疾走を見せたなら、こういった軽口も出てくるものか。
「お姉ちゃん。お願いがあるんだけど」
取り合わずに開口一番でいく。
「何?」
「春菜さんのこと。サッカーのコーチをする、って言ってるでしょう? なんとかして止めたいの。協力して」
端正な義姉の顔が崩れた。後になって静は知る。この時の孝子は、あぜんぼうぜんとしていたのだ、と。
「まだ、そんなこと言ってるの?」
「言うよ。私はお姉ちゃんたちとは違うの。春菜さんが心配なの」
「須之! 祥子!」
義姉は声を荒らげて二人に迫った。
「こいつに言ってないの?」
何を、だ。
「は、はい。あの、二人で話し合って、LBAのシーズンと世界選手権が終わるまでは言わないほうがいいんじゃないか、って」
「はい。おしまい」
景の返答を聞いた孝子の乾いた声だ。天を仰いでいる。様子が、おかしい。
「もう半月以上、たってるじゃないの。一分一秒だって惜しい相手でしょうに。それを。何が、LBAだ。何が、世界選手権だ。なめてるんじゃないよ。ばーか」
一転、義姉は憤慨しているようだった。何についてだ。皆目見当が付かない。
「斎藤さん」
孝子は傍らにいたみさとを指名した。
「ほい」
「出勤前で忙しい人を使って、本当に申し訳ないんだけど、この連中を連れて帰ってくれない?」
同じ便に乗ってきた五人のうち、同一の方面に向かうのは、静、市井美鈴、祥子、景の四人だった。
「わかった」
「荷物が入らないようなら、こっちの車に積んでいいよ」
「伊央さんの車、大きいし、それは大丈夫でしょ。あんたは、どうするの?」
「しばらく、ここにいる。力が抜けた。ちょっと運転できそうにない」
やはり、おかしい。
「お姉ちゃん!」
「ほっとけ。さっさと失せろ」
寄り添おうとしても、邪険な、この仕打ちは、どういうわけなのか。
「私たちに任せておけ」
ぬっと瞳が会話に交ざってきた。静を押しのけて孝子と向かい合う。
「確か、うちの部長付アドバイザーだかに就いてましたよね。仕方ない。気分がよくなるまで面倒見てあげますよ」
「この間、そっちのボスと大げんかしたし、解任されていると思うよ」
ざっくばらんな瞳の接近に、孝子も少し緊迫をほどいた感があった。
「へえ。さすが。じゃあ、面倒見るのは、人として、ってことで。お礼は、どこかでコーヒーでも。あ。今の時間ならモーニングがいいかな。二人、ごちそうになります」
そう言って、瞳は自分自身と迎えの女性とを順に示した。
「厚かましいやつだな」
「待て。厚かましいやつなら、ここにもいるぞ!」
躍り出てきたのは美鈴だった。陽性の人が瞳に加担して収拾に乗り出したようであった。
「私にもモーニングをごちそうしろ」
「年上のくせにたかる気かよ」
「デザートも付けろよ」
「ミス姉、最低」
口では、そう言ったものの、二人の躍動は孝子の気に召したらしい。隣のホテルのラウンジなら、もう開いているはず、と言って軽い足取りで歩きだす。
「お姉ちゃん!」
孝子の背を追おうとした静の前に美鈴と瞳が立ちはだかった。
「スーちゃん。ここは下がりな。たーちゃんがおかしくなったのは、スーちゃんのせいっぽいぜ」
「静。お前がここにいる限り、あの人の調子は戻らない、と思う。言われたとおりにしろ。須之内。高遠。連れていけ。早く」
続いた痛撃たるや、静の言動を封ずるに十分の威力であった。義姉の身に。自分の身に。一体全体、何が起こっているのか。事態の推移はようとしてわからなかった。




