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未知標  作者: 一族
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第七〇八話 よいよいよい(四)

 こちらは、いつ以来であったか。高鷲重工本社へと向かう途中の後部座席で、ふと孝子は思案した。はきとは言い切れぬものの、相当、前だ。

「斎藤さんは、覚えてる?」

「何を?」

 重工本社への最後の入構日である。

「あんたの? さすがにわからないな」

「郷本君は?」

「わからないですね。あなたと黒須さんが最後に会った日なら、わかりますが」

「いつだっけ?」

「一年半前になりますね。帰省から、いったんこちらに戻ってきた時です。そのままとんぼ返りしていったでしょう」

 ああ、と応じてみたものの記憶は曖昧だ。

「軽で往復したのは覚えてるけど、あのおっさんに会った記憶は、あまり。私の人生にとって、無用の人なんだろうね」

「表に出さないでくださいよ」

「出さないよ。これで外づらは抜群にいい」

「黙ってれば深窓の令嬢だもんね」

「蹴るぞ」

「早速、馬脚を現すんじゃねえ」

 見苦しい言い争いのうち車は目的地付近だ。先方が指定してきた集合場所は構内にある体育館の前であった。体育館といえば重工バスケ閥の総本山と称してよい。見ると、当該の場所にはスーツの群れがいて、その中に、ひときわ目立つ大男の姿を認めた孝子は舌打ちする。

「郷本君。本当にいるじゃない」

「ええ」

「だいたい、なんで、あんなにいるの」

「本社のナンバースリーが出てきていますのでねえ。自動車事業本部の方たちも、がん首をそろえざるを得ません」

「呼ばなければいいだけでしょうに」

「何かの弾みでばれたら、と思うと下手は打てないのでしょう。それぐらい黒須さんは大物、ってことです。行きましょう」

 後部座席に乗っていた孝子を、黒須も、彼の周囲も、認識していなかったようだった。登場に、片やは目を丸くし、片やは色めき立つ。尋道どころではない。黒須の、お気に入り中のお気に入りが来てしまった、といったあたりか。

「なんだ。君、いたのか」

「いて悪うございました」

「いや。そういう意味じゃない。郷本君。言わんか」

「因縁を付けるのはやめていただきましょうか。今日、私たちは車を見せていただくために、こちらへお邪魔したんです。あなた、重工さんの自動車部門とは関係ない方でしょう? 連絡するいわれなんてありませんね」

 一蹴され、黒須は笑み崩れている。

「そうそう。斎藤を、重工さんの経理部門か何かで預かっていただけるんでしたっけ?」

「うむ。うちのCFO室だ。一〇月からだったな?」

「はい」

 恭しくみさとがうなずく。

「カラーズのCEOとして、お礼を申し述べさせていただきます。ありがとうございました」

 典雅な会釈で遺憾なく外づらのよさを発揮した後は、一歩を引いて尋道に差配を譲る。

 双方の顔合わせが済み、場は車の紹介へと移った。傍らにとめられていた青いコンパクトカーが示された。説明を担当するのは螺良だ。痩身に濃紺のスーツがよく似合う人である。重工の大立者に対するための出馬なのだろう。

「郷本君。送ってくれたリクエストのうち、ね。EVと半自動運転は、無理。小さい車にはバッテリーも機器も量を載せられなくて。ただ、それ以外には、完璧に適合する車を用意させてもらったわ」

 走行可能距離、サイズ、快適性、価格、と全ての条件を兼ね備えた、お薦めの一台、と螺良は言う。

「確かに、よさそうですね」

 しげしげと眺めて、尋道がつぶやいた。

「うん。まあ、高速移動が主、っていうなら、もう少し車格があったほうが楽、とは思うんだけど。伝えてくれた駐車スペースは、どうにもならないんでしょう?」

「多少の融通は利くか、とは思いますが。どうでしたかね。細かい数字は、僕も覚えていないんですよ。斎藤さん?」

「あ。ちょっと待ってくださいよ。スマホに、図面が」

「両輪」の意識が場を離れた。どれ。生じた間隙は上司の手で埋めてやるとする。孝子はずいと出た。

「螺良さま」

「え?」

 もしや尋道から、と既知である可能性を提示しつつ挙げたのは、かつて重工の自動車部門に籍を置いていたという岩城の名だった。

 と、螺良以下自動車部門の人たちが、一斉に、うめいた。

「あ。あなたたちが!」

 叫んだ螺良の様子はただ事でなかった。何やら掘り当てた気配があった。

 退職後の岩城が喫茶店を始めたことは知っているか。その店を訪れたことはあるか。あるなら、話を聞け。なくとも、話を聞け。くだんの駐車スペースは、岩城の喫茶店が入居していたビルの跡地に作られるものとなる。ちっぽけなビルであった。故に、次の施設も、ちっぽけなものとなるのは、自明だ。かよう続けるつもりでいたが、説明の手間を省けるようであれば、結構だった。とはいえ、まずは黙って、展開を追ってみるとしよう。孝子は、そう決めた。

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