第七〇三話 クラリオン(二七)
喫茶「まひかぜ」でのひとときを経て岩城宅へと戻ったらば、夕食の準備に取り掛かる。屋外でやるバーベキューだ。DKを占拠した孝子以下女たちが、肉だ、野菜だ、とばっさばっさ切りまくる傍ら、DKに隣接する板の間では、隅に寄って円座した男たちめ、いつの間にか一献傾けだしていた。
「お前ら、何を、飲んだくれてる!」
気付いた孝子は大声を上げた。
「ケイティー。違う。僕は飲んでない」
「この座にいれば同罪ですよ」
岩城の逃げを許さじと尋道が絡む。
「さあ。見つかったので、外に出て、炉でも建てましょうよ」
その発言はいいとして、立ち上がった尋道、斯波、正雄の手にはぐい飲みだ。最年少者の手には酒瓶もある。
「外でも飲む気か!」
追跡した孝子は尋道に体当たりした。
「いいじゃないですか。ちゃんと建てますので。しみじみやらせてくださいよ」
「何がしみじみだ」
「悪いね。僕がつまらない話をしたばかりに」
先に立っていた斯波だ。
「なんです?」
孝子は尋道をうっちゃって斯波に並んだ。
「まあまあ天涯孤独でね。そりゃ、本気で探したら、どこかに縁故もいるのかもしれないけど、そういうものを考慮しなければ、僕は一人だ」
いつであったか。彼と涼子のドライブに同行させてもらった時だ。大変な苦学力行の末に進学した、という話を聞いた。関連があるのだろう。
「よすがなしでは大抵、根なし草みたいになるさ。そんなふうに生きてきた男が、農業って大地に根差す職業だなあ、なんて安直に考えたのが、今回の一件、ってわけ」
「へえ」
衝撃的な告白、ではあった。ただ、その他と一緒になって沈み込むのも、孝子のきっぷには合わぬ。思うさまに動く。
「斯波さん。親近感。仲間ですね。私も天涯孤独ですよ」
式台に腰を下ろして靴を履いている斯波の隣に孝子はしゃがみ込んだ。
「確かに私も根なし草っぽいところある」
何を言い出すのやら、と考えているようだ。斯波はじっと孝子をうかがっている。
「私が九つの時に母親がぽっくり逝きまして。で、そちら側の縁故は、皆無。父親に至っては、私の生まれる前に逃げたとかで、母親、恨み骨髄。我が家では、そやつの存在、なかったことになっていましたよ。縁故以前の問題」
周囲の、息をのむ気配がした。
「お気になさらず。言ったでしょう。私も根なし草、って。いや。もう、そこは通り越して、空を舞ってるかな。風の吹くまま気の向くまま」
「負けた」
微笑が、斯波の顔に浮かんだ。
「生まれる前に逃げられたのは一緒だけど、うちの母親、ぜいぜいしながら、それでも僕が高校を出るまで生きていたからね。高校まではなんとかしてやるが、その先は、お前がやれ、持たん、って言葉どおりにね」
靴を履き終えて斯波は立ち上がった。
「豪快なおばさんでね。つまらないことに金を使うな。葬式とかいらない。死んだら、さっさと燃やせ、って。なんとなく時機を失しちゃって、お骨、まだ家にあるんだよね」
「うちは、お葬式は養家に出していただけましたし、お墓もあるんですけど、その前が豪快でしたね。うちのおばさん、どうせ治らねえ、って病院に行かないの。金は、全部、お前に回す、だって」
「また負けた。そっちのほうが豪快だ」
言い置いて斯波は歩きだした。孝子は靴を引っ掛けて、その背を追った。
夕方も近くなり、山地の外気は結構な冷え込みとなっていた。たき火代わりの炉に当たりつつ楽しむバーベキューは、さぞかし快であろう。
「斯波さん。私たち、似たような境遇だし、ほぼきょうだいでしょう」
「そうだね」
「兄貴ー。兄貴が、ここで根を張れるよう、妹は、精いっぱい、応援するよ」
「ありがとう。妹よ。頼りにさせてもらうよ」
「兄貴ー。お墓、ここで建ててもいいかもね」
「そうだね」
ぽつぽつとした会話は長く続いた。具体的には、尋道、岩城、正雄がレンガ組みの立派な炉を築き上げるまでだ。要するに、このきょうだい、作業をすっかりサボったのである。