第七〇二話 クラリオン(二六)
温泉施設の至近は湯畑からも至近となり、温泉街における一等地であろう。岩花の喫茶「まひかぜ」は、温泉施設の裏手に、端然とあった。こまごまとした飲食店が建ち並ぶ通りの一角だ。
「随分、こぢんまりとしてますね」
細く、奥に長い白塗りの二階建てを見て、孝子は言った。
「前は正雄の同級生が、同業をやっていた、ってね。引退して、施設に入るのをいいことに、買いたたいたらしい」
「人聞きの悪い。終活の手伝いを頼まれていたのと、ちょうど兄貴が戻ってくるのが重なったんで、引き取っただけだよ」
兄弟の掛け合いで、おおよその「まひかぜ」創成秘話はわかった。
「あらー。こちら、正雄さんのご所有なんですね。使えそう」
「アンテナショップにでもしますか」
「さすが」
「これこれ。二人だけで盛り上がるなよ」
孝子は「両輪」をいさめた。順を追ってもらわなければ困る。
「さあ。入れい」
外観から一転して店内は落ち着いた色調の総木張りとなっていた。濃く漂うコーヒーの匂いといい、開店したばかりの店とは思えぬ重厚の雰囲気であった。これは、
「『まひかぜ』!」
舞浜の「まひかぜ」を移設したのだ。孝子に同じく察した麻弥も、懐かしげに店内を見回している。
「ケイティーたちの会社が高値で例の土地を買ってくれたおかげさ」
「お役に立てたなら何よりです」
「さあ。座って」
カウンターに収まった岩城が目の前の席を示した。順に一行が着席する中で、みさとは当然のごとく、岩城の側へと押し入っていく。仕切る気、満々である。
「さあ。郷さんと直接対決だ。腕が鳴るね」
「おい。真面目な話だろ」
「うっさい。真面目も真面目、大真面目だわ。意見を戦わせることで、より練られていくんでしょうがよ。計画がよ」
「斎藤さん。相手にしないで先に進めて」
麻弥が膨れたって構うものではない。
「ほい。えっと、斯波さんが正雄さんの跡を継がれるかも、ってなった流れは聞いてるんだよね?」
孝子は黙ってうなずいた。
「斯波さん、一年をめどに岩花に通いで農業の勉強をされます。岩花の春夏秋冬を知るためにね」
まずは尋道の予想どおりの導入となったか。
「これは、正雄さんも、ぜひ、と推奨されてるの。なじんでほしいけど、向き不向きもあるし。見極めてほしい、って」
「斎藤さんは、その一年の間、何をして待ってるの?」
次の段階へと進める。
「コンサルするには、私も農業について知らないといけないよね。実は、格好の先様がいらっしゃるんだけど、郷さんは読めたかな?」
「北崎さんのご実家でしょう?」
大笑である。
「これだよ。これ。打てば響くんだよ。この人は。ハルちゃんのところも、血のつながらない相手に事業を承継するんだよね。いろいろ話を聞かせていただこうと思ってる。あと」
みさとは言葉を継いだ。
「郷さん。もしかしたらだけど、高鷲化成アグリサービスの人とか、ゴルフ場で会ってたりしません?」
孝子以下、先ほど尋道氏の予想を聞いていた者たちが同時に噴き出した。
「お。なんだ、なんだ」
「斎藤さん。この人、だてにゴルフクラブは振ってないんですってよ」
「おおー! いいね! 高鷲化成アグリサービスっていったら、スマート農業に強みのある企業だよね。省力化はもちろんだけど、正雄さんのところの広い土地を生かして、植物工場も検討してみたい。そうだ。メロンって、単価も高いし、工場で、せっせと作れたりしないかなあ。で、それを加工して、六次化なんてのも面白そうじゃないです?」
尋道がのけ反った。
「どうしましたん?」
「降参です。僕はメロンの量産まででした」
「いえいえ。メロンから先は取って付けたものだし。郷さんの勝ちでしょう」
「またまた」
譲り合う二人の前にコーヒーカップが置かれた。岩城の振る舞いだった。
「どちらもお見事、でいいじゃない」
「そうしておきます?」
「そうしておきましょう」
カップが掲げられ、好敵手たちは互いの健闘をたたえ合う。清爽の光景だった。「両輪」、あっぱれ。無論、減俸は、なしである。