第六九八話 クラリオン(二二)
集中講義や舞浜大学初となるユニバースゴールドメダリストへの配慮などを駆使するならば、佳世の卒業に向けた道筋は立つであろう。
行きで最後の休憩場所、とあらかじめ定めていたパーキングエリアにおいて受けた報告だったが、孝子、それどころではない。尋道が語った避暑計画を受けて、田舎者の血をたぎらせていた。ぱっぱらぱーの単位などにかかずらっている暇はなかった。
佳世の話題もそこそこに切り上げて孝子は車を降りた。ラゲッジに回り、手荷物をあさる。取り出したのはスマートフォンだ。どうせ使わぬ、邪魔になる、と放り込んでいた。
「見て。調べた。すごい広いよ。やったね」
車外で伸びをしていた尋道を急襲した。スマートフォンの画面に映していたのは、インターネットで得た目的地の周辺図だった。得意げに見せびらかす。
「おお。これは、確かに、ちょっとした遊園地ぐらいありそうですね」
「何?」
涼子がのぞき込んできた。
「岩城さんのお宅の敷地ですよ」
「ああ。私も調べたよ。すごいよね」
「私、考えてるんですよ。管理が大変らしいんで、お手伝いを建前に避暑できないかな、って」
「小娘。夏の間、居着く気か」
「いい考えでしょう」
「こら。厚かましいぞ」
叱声を飛ばしてきた麻弥に、孝子は体当たりした。
「残念でしたー。実際に交渉するのはカラーズの策士でしたー。あの人がやれば、あら、不思議。何もかも、もっともらしく収まるのさ」
「お前、本気か?」
「どうですかね。小用に行ってきます」
相手にする気はないらしい。尋道は空とぼけて去っていく。孝子も相手にする気はないので、口をとがらせている麻弥を置いてショッピングコーナーへ向かった。
休憩が終わると車は再び動きだす。目的地までは一時間余とのことだ。高速を下り、市街地を進む。遠景だった山容が、見る見る近づいてくる。
ついに山道に入り、しばらくたったころだ。
「少し肌寒くなってきた」
「今、標高七〇〇メートルだって」
孝子のつぶやきに、斯波が応じた。スマートフォンを掲げてみせてくる。
「この人、ずっと高度計を表示させてるの」
あきれた口調で斯波の隣に座る涼子が言った。
「何が楽しいのやら」
「数字がぐんぐん上がっていくさまを見ているのが楽しいのでありますよ。涼ちゃん君」
「子供」
二人の言い合いのうちにも、車窓からの景色は、ますます緑の度合いを増していく。
そして、着いた。目印と伝えられていたサービスステーション横の細道を抜けた先は一面の農地だ。左手に見える巨大な日本家屋の前に二人の男性が立っていた。白髪の痩身と禿頭の大兵のうち、前者は遠目にも岩城とわかる。とすれば、もう一人が弟氏であろう。
「岩城さん! 来ましたよ!」
車がとまるなり、孝子は飛び出した。
「ようこそ。これが弟の正雄。正雄。この子が噂のケイティーさ」
満面に笑みを浮かべて、岩城が大兵に孝子を示した。
「ケイト好きなんていうから、どんなおばさんが来るかと思ったら、おや、かわいらしい」
「誰がおばさんだ」
正雄に向けてストレートを放つ。途端に大笑が起きた。
「失敬、失敬。兄貴の言ってたとおり、元気なお嬢さんだ。よろしく。昭彦の弟の正雄です」
「初めまして。神宮寺孝子と申します。岩城さんには、あまりお世話になった記憶はありませんが、よろしくお願いいたします」
「いいね。この切れ味は。このあたり、じじいとばばあしかいなくて、刺激が少ないんだよ。いや。楽しい二日間になりそうだ」
早速、意気投合していると、ようやく同行者たちが来た。
「おい、おいー。一人だけで盛り上がるなよー」
「正雄さん。この子も切れ味は抜群です」
孝子はみさとを捕らえて紹介した。
「なんだよ。やぶから棒に」
「このあたり、じじいとばばあしかいなくて、刺激が少ないんだって。正雄さん、若い娘に振り回されたいそうだよ」
「あらあら。まあまあ。そういうことでしたら、うふふのふ!」
孝子の推挙に間違いはなく、みさと、即座に乗りを合わせてくる。
「いやいやいやいや。ケイティー、困るよ。すけべじじいだと思われてるじゃないか。兄貴。とんでもない子を呼んでくれたな」
「退屈とは無縁の二日になりそうだろう。よかったな」
無論、期待は裏切らないつもりの孝子だ。




