第六九四話 クラリオン(一八)
週末の「本家」だ。DKでは、普段より一時間ほど早くに始まり、そして、終わった朝食の後片付けを孝子と佳世がこなしていた。繰り上げの理由は、午前七時と定められた待ち合わせにあった。尋道がやってくる。彼の運転する車に、孝子、佳世、ロンド、と乗り込んで出発する。三人と一匹で始まる道中は、風谷涼子に斯波遼太郎、麻弥にみさと、と順繰りに同行者たちを拾い、最終的には七人と一匹まで膨らむ予定となっていた。目指す先は群馬県岩花市。今日は待ちに待った温泉旅行の日である。
「よし。こんなものかな」
事後処理があらかた終わったところで孝子は声を上げた。呼応して佳世とロンドが躍動する。
「おーう!」
「佳世君。犬。準備は万端かね。あの男のことだし、時間どおりに来るはずだよ」
「じゃあ、彼、もう表にいるかもね」
「表?」
先日、尋道から、出発の前夜に医院の駐車場を使わせてほしい旨、申し出があったのだとか。レンタカーが巨大過ぎて自宅の車庫に入らなかったため、だそうな。なるほど。出発の一五分前なら、周到な男は定時に備えて車で待機している、という美咲の読みもうなずける。
確認すべく孝子は外に出た。途端に、嘆息だ。昨夜の天気予報と起き抜けに見た煌々たる窓外から覚悟はしていたが、暑い。もう暑い。暑過ぎる。ぐちぐちやりながら孝子は「本家」の裏手を抜けて神宮寺医院の敷地へと入った。あった。駐車場の片隅に大型のミニバンが朝日を受けて光っている。近づいてのぞき込むと尋道は運転席で缶コーヒーをやっていた。
「いやがった」
車の外に出てきた男に見舞った第一声は、これだ。
「ママの予想どおり。彼なら、もう待機してるんじゃないの、って」
「謹厳実直な人柄が災いしましたか」
応酬は孝子の負けのようだ。舌打ちして話題を変える。
「どれくらいあるの、これ?」
顎をしゃくって大型のミニバンを示した。
「五.五メートル弱です」
長い、といえば、長い、が。
「でも、これが駄目なら、キャンピングカーは、どうなの? 大丈夫?」
尋道が買ったというか孝子が買わせた尋道の車について言及した。ミニバンが入らないのなら、さらに巨大とおぼしきキャンピングカーは、なおさらではないのか。
「僕が買うやつは、意外と長さがないんですよ。五メートルを切ってます」
「五メートルって、あの手にしては、ちょっと小さ過ぎない?」
「といって、持て余すようなものを買っても、ね。そもそも、持て余すようなものだと、中型免許とかになってしまいますし」
そのためだけに免許を新たに取得するのも、なかなかの手間暇だ、と尋道は小さく笑った。
「何。大丈夫ですよ。あなた、人を乗せるつもりはないでしょう?」
「ないね。この間で懲りた」
「でしたら、足ります」
「信じましょ。納車は、いつごろ?」
「一〇月中には、なんとか、と聞いています。はっきりしたら、お知らせしますよ」
暑くもなく、寒くもなく。格好の行楽シーズンではないか。
「一週間ぐらい借りて、今度こそ福岡でゆっくりしてこようかな」
「ロン君は連れていってあげてくださいね。那美さんさえいなければ、おとなしくしているはずなんです」
「はいはい。さて。どうしよう。そろそろ時間だけど、荷物、ここに持ってこようか?」
「では、お手伝いしましょう」
動きかけた尋道を孝子はとどめた。
「いい。荷物、そんなにないし、来てもらうまでもないよ。すぐに戻ります」
言い置くや、孝子は「本家」に駆け戻った。
「ママ。大当たり。いたよ」
まずは予想の的中を報告だ。
「やっぱりね」
「謹厳実直な人柄が災いした、とか寝言を言ってた」
「え? ああ。それで、行動を読まれた、ってか。あの子も、くせ者よね」
「本当に。とんでもないくせ者。悪い男と知り合った。よし。佳世君。荷物を運ぼう。迎えに来てもらうんじゃなくて、医院から、そのまま出る」
「はーい」
美咲の手助けも得て、荷物の搬出、積載は、瞬く間に終わった。定刻より七分早い午前六時五三分だ。さあ。一泊二日の非日常が始まる。




