第六九二話 クラリオン(一六)
孝子が行動を起こしたのは、舞浜に戻って、すぐだった。土産を渡す、という名目で「新家」を夜討ちし、義妹の得手勝手を彼女の養親たちに訴えたのである。カラーズきっての善人、麻弥の反応なども論拠として織り交ぜながら、堂々、非を鳴らした。ロンドを休ませる、と言い残して「本家」へ去った尋道以外の面々、すなわち連行された被告および証人たち、声もなし。
「勝訴」
「本家」に戻った孝子は、出迎えの尋道とロンドに言い放った。
「はあ」
「お土産でもつつきながら話そう」
尋道の視線が孝子の背後に向けられた。
「那美さんは?」
「収監された。ざまを見ろ」
「ははあ」
集ったのはDKだ。既に尋道は美咲と佳世の歓待を受けていたとみえ、ダイニングテーブルには茶菓があった。
「はい。追加」
福岡土産を卓上に積み上げておいて、孝子は一席を占めた。付き従ってきた麻弥、みさとも右へ倣う。
「ママ。ナミスケ、『新家』に戻した」
「おー」
想定内らしく、美咲の声に驚きはない。尋道から事前のレクチャーがあったとみえる。
「さっさと行っちゃったことも含めて、予想どおり?」
読んでいたのか、と尋道に問うた。
「修羅場になんか立ち会いたくなかったのでね。あの、スーパーに連れていくのいかないの、ってところで、あっさり折れましたでしょう。きっと万倍返しをたくらんでいるんだろうな、と。時に、ロン君は?」
尋道の腕に抱かれていたロンドが、きゅっと身を縮めたようだった。
「こっちで飼う。犬のバックには怖い人が付いてるんだよね。私も自分はかわいいから」
「誰のことをおっしゃっているのかわかりませんが。いずれにせよ、ロン君、よかったですね。でも、油断めされるな。オンとオフの差が激しい方なのでね。あなたのご主人さまは。甘えるのはオンのときだけにするのがいい。というわけで、今はオンでお願いします」
手渡されたロンドを受け取る。
「たった今、オフになった」
言ってなで回すと頬擦りのお返しがある。
「お姉さん」
佳世だ。
「結局、那美さんは、どうなったんですか?」
「この子、このままじゃ社会でやっていけませんよ、再教育を、って。おばさまに言ってやった」
「で、おばさんの下で、しばらく?」
「期間は知らない。あ。ママ。『新家』の建て替えが本決まりになった、って」
「ああ。ようやく」
「はい。一一月あたりから今のお宅の取り壊しが始まるそうです。建て替えの間は、『新家』の皆さま、成美大おばさまの元で過ごされます」
「そうなるだろうね。あ、那美も?」
「はい。今まで何度か、がつんと怒ったけど、まるで効いてない。もう、成美大おばさまにすがる、と」
「成美おばさんと姉さんとじゃ圧が違う。あの暴れん坊にはいい薬になるだろうね。はい、ご愁傷さま」
締めの言葉、だったろう。話題は移り変わる。
「それにしても、お三方」
美咲の会釈だ。
「お疲れさまでした。不肖の娘が迷惑を掛けちゃって」
「来てくれなんて頼んでないもーん」
「孝子も成美おばさんのところに行く?」
「みんな、ありがとう。すてきな友だちに恵まれて、私、幸せだな」
空々しい笑顔に、DKは爆笑となる。
「さて。冷たい娘だと思われっぱなしなのも私の沽券に関わる。君たち。急な話だけど、週末に温泉なんて、いかが」
「お。どこさ」
「カラーズで温泉っていったら、岩花に決まってるだろうが」
あっ、と麻弥とみさとがうめいた。群馬県岩花市といえば、閉店したカラーズなじみの喫茶「まひかぜ」が老マスター、岩城の古里にして隠棲先ではないか。
「そういえば、行かれるんでしたね」
「郷さんは、ご存じで?」
「ええ。僕、というか、父親が誘っていただいていたんですが、あの人、おじいさんなので、もう少し涼しくなってからに、と遠慮させまして。なので、今回は、神宮寺さんと舞浜大のお二人で行かれる予定、と記憶しています」
「おいおーい。私、聞いてないよー」
ぼやくみさとを、孝子は一刀両断にする。
「君たちは、最近、ほぼ他人だったし」
「ひでえ。あ。私、もちろん行くよ」
「麻弥ちゃんは?」
「私は、どうしようかな」
「こいつは、いいよ。どうせ、剣崎さんと一緒がいい、とか思ってるんだぜ。友情と愛情を天秤に掛けるようなやつは、いらん」
「そんなこと、言ってないだろ!」
「君は?」
いがみ合いを尻目にして孝子は尋道のほうを向いた。
「ロン君は連れていってくれるんでしょうね」
「君が世話するなら」
「行きましょう」
「ママは?」
「ええ?」
意外の勧誘に、美咲は奇声を発した。
「私が動けるのは土曜の午後からなんだよね。誘ってくれてうれしいけど、さすがに慌ただしい。また今度」
「うん。ママを誘うときは、連休か、もっと近場か、だね」
「お姉さん。私は?」
ずいと佳世がきた。
「佳世君は、確か、全日本の合宿でしょう?」
「行きたくありません」
「そんなの知らないよ。好きでやってることでしょうに」
「いえ。そこまで好きなわけでも。それより皆さんと温泉旅行のほうが楽しそうです」
「こら。何を言うんだ、お前は」
カラーズの良心が叱責する。ぷっと佳世は頬を膨らませる。眺めているうちに、孝子は、ふと思い付いた。
「佳世君。私は止めないよ。自分で決めればいい」
言ってみた。完全ないたずら心だった。自他共に認めるへなちょこは、どうせ決めきれない、と高をくくっていた。孝子のよくやる失敗の型だった。




