第六八八話 クラリオン(一二)
孝子が覚醒したのは、こつこつという音に呼び起こされたためだった。車窓をたたく音、らしい。薄目でうかがうと運転席側の外に、二人、いる。駐車場内でも外灯から遠い暗がりを選んでとめたので、はきと何者かはわからぬが、不審な。
急発進に備えていると、声が聞こえた。おーい、と。聞き覚えのある声は、
「マヤ公」
ではないか。倒していた運転席を起こし、孝子はドアを開けた。熱帯夜中の車内に外気が流れ込んできて、じっとりと汗ばんでいた総身に快い。
「おっす」
降り立ったところで掛かった声は、こちらもなじみだ。麻弥の連れはみさとだった。
「なんでいるの。そうか。あのやろうが私を売ったんだな」
郷本尋道が、あのやろう、の指し示す相手となる。孝子が静岡県は静海サービスエリアで休息している事実を知るのは彼のみだ。
「戻ったらぼこぼこにしてやる」
「いるよ。寝てるけど」
まくし立てられて、失笑しながらた麻弥が言った。
「二人を使って、自分は熟睡か。ふてえやつ」
「まあ、こんな時間だしねえ」
みさとも笑う。睡眠不足に弱い尋道が、深夜と早朝の活動を忌避することは周知である。
「今、何時?」
「日付が変わって、一時」
仮眠を始めたのが昨日の午後九時前なので、四時間がたとうとしていた。
「まあまあ寝たね。二人は、どうしたの?」
大きく伸びをしながら問うた。
「ロン君を救出しに行きたいんですよ、って郷さんが連絡してきて、で、私が、正村を巻き込んで」
「そりゃ、災難だ」
「いや。そうでもなくて。伊央さんの車を堪能できるし、シータも間近で見られるしで。意外と、乗り気で来た。孝子。運転席、座っていい?」
車好きの面目躍如たるコメントを麻弥が発する。
「いいよ。その辺、走ってきたら」
「さすがにやめておく」
言って、麻弥はいそいそとシータの運転席に乗り込む。
「イオケンの車で来たんだ?」
孝子はみさとに向けて発した。
「うん。お高い車でしょう? でかくて乗り心地がいいし、半自動運転もできるしで、楽、って郷さんが手配してくれた」
「そういえば、あのでかぶつ、あの人が管理してるんだよね。とめてあるのはうちの庭だけど。あ。やろう。忍び込んだか」
「そんなわけないでしょ。美咲さんに中に入れてもらって、軍資金も頂戴してきた、って。不肖の娘をよろしく、だそうですわよ」
「ママめ。どれ。軍資金とやらで夜食でも取るか」
「お。行きますか。ここに来る途中にのぞいたけど、フードコートのうどん屋さんがやってたよ。そうだ。寝汗、大丈夫? 替えを持ってきたんだけど、よかったら」
「下は、ある?」
「上も下もあるよー」
「じゃあ、下をいただく。麻弥ちゃん、行こう。夜食」
「その前に、孝子、幌を開けていいか?」
「後にしろ」
孝子に引きずり出された麻弥は、未練たらたらの口調でつぶやいた。
「いいなあああ」
「麻弥ちゃんだって似たような車に乗ってるじゃないの」
「違うよ。私のは、スーパースポーツ。お前のは、グランドツアラー」
何を言っているのか、よくわからないので、話を先に進める。
「行くぞ。そうだ。車、どこにとめたの? きゃつも連行する」
「あー。気を付けろよ。あいつ、機嫌が悪い」
「眠くて?」
「それさ」
受けたのはみさとだ。
「出発は明日にしよう、って郷さんが言うのを、私、強引に押し切って。静海で合流できそうだし、行こうよ、って。いや。どうしてもカラーズ集合したくて。神宮寺。実は、私たち、めでたくカラーズに復帰の運びとなりそうなのさ。で、うれしくて騒いでたら、郷さん、ぶち切れ」
ひとまず尋道の大噴火は置いておくとして、二人がカラーズに復帰、と言ったか。急な話だった。何が、あった。
「郷さんとうちの副所長が、やり合いましてね」
「あれは、やり合った、っていうのか?」
やり合った、といえないのなら、一方的、だったのだろう。尋道が負け戦に臨んでいる姿は考えにくかった。よって、当該の対決は前者が後者をめった打ちにした、とみる。
「で、怒った副所長さんにもろとも絶縁されたの?」
「されてねえよ。詳しくは郷さんと合流してからにさせて。どうしても動いてくれないようだったら、私たちだけで進めるけど」
「あいよ」
はてさて。何をやったのやら、我が片腕よ。漏れなく興味深い口八丁が展開されたはずだが、と空想しかけて、孝子はやめた。まずはとっくり聞かせてもらうのが道になろう。夜食の席にせっかくできた話の種なのだから。




