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未知標  作者: 一族
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第六八四話 クラリオン(八)

 昼休憩に入った直後の斎藤英明税理士事務所である。電話番のみさとを残して、次々と所員たちが昼食を取るために外出していく。麻弥も供を命じられた斎藤かなえ副所長に従って事務所の玄関をくぐった。

 と、出くわしたのは尋道だ。彼が両手に提げている紙袋は詰め合わされた菓子折のようであった。どこぞからの帰りで、その土産か。

「どうも。ご無沙汰しております」

「郷本君。どうしたの。中、みさとしかいないけど。あ。あの子に用だった?」

 副所長の問い掛けに尋道は首を横に振った。

「いえ。どなたかいらっしゃれば用は足りたので。別に斎藤さんである必要はありませんでした。偶然です。では、失礼して。お邪魔します」

 慇懃な一礼を残し、尋道は事務所の中に入っていった。

「ちょっと、戻ろうか」

 やや間が置いて、かなえが言った。心なしかほくそ笑んでいるふうに見える。麻弥は、つい先日、彼女に吐かれたせりふを思い出していた。尋道が牛耳る現在のカラーズに麻弥たちの帰る場所はない。覚悟を決めて税理士事務所の一員となれ、的な、あれだ。ほとぼりの冷め切らないうちに、まずい男の登場、と思わざるを得ない。副所長氏は、カラーズから出向いている二人を手中に収めることを望んでいる。自らの願望をかなえるため、彼女がどのような攻勢にでてくるものか。考えるだけで腹部がきりきりするようである。

「早速のお越しで、ありがた、ありがた」

 きびすを返して尋道を追うと、事務室からみさとの歓声が聞こえてきた。エントランスロビーを抜け、のぞけば、みさとが菓子折の小箱を掲げて小躍りしている。

「斎藤に用はないんじゃなかったのか?」

「頼まれていたお土産を届けるだけだったのでね。ご本人がいらっしゃらなければ託して帰るつもりでしたよ。こちら、時分時には、どなたかが電話番に残っていらっしゃると承知していますので。虚偽を申し立てたわけではありません」

 立て板に水で返されて麻弥は詰まった。早々に、してやられた感覚があった。

「ういろうだよ。前、那古野に行った時に食べて、おいしかったんで、郷さんに頼んだんだ」

「お前、那古野に行ってたのか?」

 二人の視線が来る。

「あのさあ。出向中とはいえカラーズに籍を置いてる身でしょ? 勤怠管理ぐらい見ろよ。郷さん、毎日、きっちり書いてくれてるだろ」

「ういろう、ういろう、ってひたすら続くメッセージが届いた時には、何事かと思いましたがね。あ。副所長さん。お土産、斎藤さんにお渡ししておきましたので。皆さんで召し上がってください」

「あら。ありがとう。郷本君はナジョガクさん?」

「ええ。表敬訪問で」

 ナジョガクに表敬訪問、ときた。かなえと尋道が、何について述べているのか、麻弥には判然としない。

「表敬訪問?」

 故に、つぶやいてしまった。負の連鎖の始まりだった。

「先の高校総体でナジョガクさん、優勝されたでしょう。スポンサーとして、一言、申し述べに、ね」

 高校総体の結果こそ知らぬが、スポンサーの件は麻弥も知っていた。とっさに、そこを結び付けられないあたりが自分の至らない点、と痛感させられる。

「あと、神宮寺さんがあちらで買われた車の納車に付き合って。そういえば、副所長さん。那古野で、すごい方にお目にかかったんですよ」

 麻弥の苦悶を知ってか知らずか、尋道は先へ先へと進んでいってしまう。こうなっては挽回も難しい。

「お。誰かな」

「わかった。依田さんだ」

 みさと、だった。

「なんで依田さんが出てくるんだよ」

 しらっとした視線に麻弥はさらされる。一失点。

「私も、あの子のカリスマ性を信じてるのさ。だから、縁のある那古野の一番の大物が引き寄せられたに違いない、と読む」

「縁なんかないだろ」

 苦い失意がみさとの顔をよぎった。もう一丁。

「自社が抱える新進気鋭のカーデザイナーの縁故でしょう。それと、ハミングバード、だっけ? あちらさんの女子バスケに外国人を紹介したよね。あと、依田さんって黒須さんと桜田の同期だし。重工の黒須が娘同然に目を掛けている女の存在って、経済界では、ちょっと有名らしくて。そのあたりを勘考すれば、依田さんが出てきたって、おかしくない」

「大当たりです。さすが」

 尋道が取り出したスマートフォンの画面をのぞき込むと、納車式の一幕だろう。青いナジコ・シータの前に、孝子、那美、ロンドを抱いたグレーヘアの紳士――ナジコ株式会社の社長、依田逸郞、と並んだ写真が表示されている。

「神宮寺さんの試乗した車が、依田さんの車だったとかで」

「え? そんなことして大丈夫だったのか?」

「最後まで聞いてからにしていただけませんかね」

 マニュアルトランスミッション仕様のシータを所有している者が、正治の周囲に依田しかいなかった、という事実が始まりだったらしい。そこから、自社の俊英の頼みであり、また、会社としてもまんざら無関係の相手ではなし、それに神宮寺孝子氏は、確か同窓の黒須が夢中になっているとかいう、例の、とつながったとか。

「たちまちのうちに、どうこうとはならないでしょうが、それでも注視しておきたい組み合わせだ。そうはお思いになりませんか」

「郷さん、そのとおり!」

 展望を尋道に聞かされ、はしゃぐみさとの傍らで、麻弥は彫像と化している。決定的な一発をもらった。いや、呼び込んだ、と評するべきであったか。副所長の攻勢以前の問題だった。二人の飛躍に、まるで付いていけない。初っぱなのつまずきで、平静を失っていたとはいえ、だ。進退窮まった。麻弥の偽らざる実感となる。

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