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未知標  作者: 一族
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第六八一話 クラリオン(五)

 孝子たちと別れ、那古野女学院に向かう道中で尋道が思いを巡らせるのは、ディーラーでの出来事となる。彼の上司と世界に冠たる自動車メーカー、ナジコ株式会社社長との邂逅についてだ。神宮寺孝子という人の周囲には、常住、風が、それも順風ばかりが吹く、と信ずる身にとっては、誠に大きい今回の一件といえた。いずれ、対ナジコにおいて、何か、の起こる可能性がある。ぜひとも注視していかねばなるまい。その、何か、は彼の栄達につながるものかもしれないのであるからして。

 もはや思索がてらとなった尋道の那古野女学院着は、午後四時になんなんとするころになった。同校を訪問するのは初めての尋道であったが、案内の職員が付いてくれたおかげで体育館へは一足だ。バスケットボール部をスポンサーするカラーズの一員という立場が役に立った形である。

「おう。いらっしゃい」

 体育館に入るなり、目ざとく尋道の姿を認めた長沢が大声を発した。コートに立っているのは、生徒たちに実地で指導しているのだろう。自然と注目を浴びることとなった尋道は、声を張る覇気もないので、長沢に黙礼、生徒たちのあいさつにも黙礼、と返してやり過ごしていく。向かったのは、那古野女学院バスケットボール部の領袖、松波治雄翁の下だ。

「ご無沙汰しております。改めまして、先の高校総体の優勝、おめでとうございます」

 祝意に併せて用意の金一封を贈呈する。

「なんの。重ね重ねのお祝い、ありがとう」

 言って、松波は恭しく封筒をいただいてみせた。

「時に、郷本君は、今日は一人で? 実は、今日、神宮寺さんと妹さんが、うちに遊びに来ることになっているんだけど」

「先ほどまで一緒でした。お送りした帰りです」

「ああ。じゃあ、もう舞浜に?」

「ええ。明日も仕事なので」

 そうこうするうちに、長沢がやってきた。赤らんだ顔は、つい先ほどまでの熱血故だろう。

「どうされました」

「休憩」

「まだ、あちら、やってますが」

 尋道は、四面あるコートのうち、体育館の入り口から見たとき、手前側の二面を指した。

「あっちは中学生だ」

 言われてみれば、手前側の少女たちは線が細い。

「なるほど」

「今日は、どうした? 孝子たちが遊びに来てるんだけど、それとは別?」

「いえ。一緒です。お送りした帰りです」

「なんだ。じゃあ、お前も泊まればよかったのに」

「僕は会社員です。オーナー社長や学生と一緒にしないでください」

「休暇じゃないの?」

「業務です。こちらへの表敬訪問のついででお送りしました」

 実際に、ついで、だったのは、どちらか、などとは、言わぬが花、というやつになる。

「もう帰るの?」

「もちろん」

「少し、時間、取れない? うちに、さ。舞姫に入りたい、って子が何人かいるんだけど。話を聞かせてやってよ」

 嫌である。この場にとどまる時間が長くなればなるほど帰宅の時間も遅れる。さっさと引き上げ、明日に備えたい。今日、起こった種々を考え合わせたい。

「先生。生徒のためを思ってのことでしたら、心得違いかと」

「え?」

 思ってもみない言だったとみえ、長沢はすっとんきょうな声を上げた。

「そうでしょう。大切な生徒さんの進路に関わる話ですよ。僕のような部外者ではなく、中村さんと井幡さんにお願いするべきですね」

 初手のはったりに引き続いて畳み掛ける。

「いや。そんな、大げさじゃなくて、ざっとでいいんで」

「何が、ざっと、ですか。舞姫に入る、とは、すなわち就職なんだ。僕の話を聞かせるぐらいだったら、OG訪問でもさせたらいいんです」

 神奈川舞姫には、那古野女学院出身の黒瀬真中と香取優衣が在籍している。

「あるいは、先生がコンタクトしやすい相手でしたら、高遠、伊澤の両氏を頼ってもよいでしょう。というわけで、お断りします。さて。ぼちぼちおいとましますよ。僕、運転が遅いので。急がないと午前さまになってしまう」

 十分なけん制によって、彼我の距離は十二分に開いていた。後は、脱兎のごとく逃げに逃げる。こうして尋道の撤退戦は完了したのであった。

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