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未知標  作者: 一族
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第六八〇話 クラリオン(四)

 快晴の下、ゆるゆると西へ走った車は、午後一時五五分、ナジコ株式会社本社門前販売店に到着した。申し分ない時刻は、分単位で休憩時間を管理するなど、尋道による道中の差配が完璧であったためだ。

 その尋道は、駐車場に車がとまるなり、外へ飛び出していった。様子をうかがえば、尋道氏、出迎えの人の群れに向かっていく。随分と多いようであったが、その理由はすぐに判明した。中心に立って、周囲にかしずかれている姿のよいグレーヘアは、ナジコ株式会社社長の依田逸郞(よだいつろう)だ。尋道の行動は、この変異を見て取った上でのことだろう。さて。カラーズの詐欺師が大会社の社長に推参か。面白い取り組みではある。

 ところが、孝子の期待に反して尋道は、出迎えの中にいた正治と、二言、三言、交わしただけで戻ってきた。後部座席のドアを開けて彼氏は言う。

「那美さん。行きましょう。ロン君もショールームの中に入れていただけるよう手配しました。車の中は暑くなりますよ」

「ケイちゃんの車は、どうするの?」

「そんなものよりロン君のほうが大事です」

 尋道の勢いに押される形で、那美もロンドの乗ったペットキャリーを持って車外に出た。案内に従い、店内へ入っていく途中、ちらりと尋道が孝子を見やってくる。目配せに、孝子は察していた。納車の儀ならびに依田との相対の場に、さかしい娘は不適、と彼はみたのだろう。手を上げて応じ、以心伝心の成功を示しておくとする。

 外に出ると、寄ってきた一団の先頭、正治に向かって孝子は一発、お見舞いする。

「正治ー。今日はサボりですかー?」

「半休です」

 笑み崩れた正治の次は隣の依田だ。

「じゃあ、そちらのおじさまは、サボり?」

「いやあ。我が社の車をお買い上げいただいた方へ、あいさつに出向いてきたわけだから、サボりではないかな」

 周囲の顔たちが引きつる中で、グレーヘアの紳士は、にやりと笑う。爽やかな応答に、話せる相手、という印象を孝子は抱いた。

「それは失礼いたしました。正治さん。ご紹介くださいな」

「は、はい。神宮寺さん。ご紹介いたします。私ども社長の依田でございます。社長。こちらは神宮寺孝子さまでいらっしゃいます」

「初めまして。依田です」

 ここで依田の手に名刺だ。受け取り、一礼する。

「初めまして。神宮寺と申します」

「神宮寺さん。前に試乗いただいたシータなんですが、実は、依田の車でして」

「えっ」

 孝子は正治を見た。別に、この程度で驚愕したわけではない。

「正治さん。よかったんですか? 思いっ切りぶつけてましたけど」

「ぶつけておりません。ぶつけておりませんとも」

「絵の具でも塗っておけばばれませんよ、って、私、塗るのを手伝わされましたよね」

 ご丁寧に塗装の手つきをしてみせれば、正治は天を仰ぎ、依田は破顔する。

「神宮寺さん。私に何か含むところでもあるんですか」

「まさか。ご人品に甘えただけですわ」

「松波君も形無しだな。仕方ないよ。重工の黒須がきりきり舞いさせられる、ってほどの人だ。相手が悪いのさ」

 意外の名前、と思いかけて、思い直した。経済界の大物同士である。ナジコの依田逸郞が、高鷲重工の黒須貴一の存在を承知していたところで、なんの不思議もなかった。

「彼とは桜田の同期なんだ」

 補足があって、孝子は完全に得心した。

「同じ桜田者でも違うものですね。片や細面の紳士、片やむくつけき大男、って」

「したたかだな。したたか。これは黒須もたまらないだろう」

「ご夫妻そろってのいかもの食いで。かわいがっていただいてます」

「清香さんか。あの人も、若いころは相当なおきゃんだったと聞くけど。ご自身と重ね合わせたのかな」

「誰がおきゃんー?」

 わざとらしい渋面を作って、孝子は握り拳を振り上げる。

「失敬、失敬。松波君。来てよかったよ。実にきっぷのいいお嬢さんだ」

「はい」

「さて。ゆっくり、とはお付き合いできないが、お菓子とお土産を用意させてもらっているので、中へ、どうぞ」

 依田のエスコートを受け、しゃなりしゃなりと進む孝子の威風は、大した令嬢ぶり、とナジコ株式会社本社門前販売店において末永く語り継がれたそうな。これ全て図太い神経のなせるわざというのに、である。

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