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未知標  作者: 一族
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第六七五話 羅針儀(二四)

 なんと言ったのか。終業後の斎藤英明税理士事務所だ。飲みかけのアイスコーヒーを片手に居残っていたみさとが、ぽつりと何やらつぶやいたのだ。眺めていたスマートフォンから得た情報に対する感想であるのだろうが。

「何か、おっしゃいまして?」

 隣席の斎藤かなえ副所長が娘に問うた。砕けた私語が出るのは、所内に身内しか残っていないためだ。みさと、みさとの母のかなえ副所長、所長室に在室するみさとの父の英明所長、ときて、最後に、カラーズから研修に出されている麻弥、以上四人である。

「え? ああ。おっしゃいましてよ。はい、ご出立、って」

「誰が?」

「知ってるっけ? 須之内さんと高遠さんって、女子バスケの子たち。アメリカに行ったの。二人が乗る便の発着情報を見てた」

「は!?」

 思わず麻弥は叫んでいた。いつの間に、そこまで進展していたのだ。聞いていない。

「みさと。どういう話? 麻弥も絡んでるの?」

「いや。絡んでない。長くなるんだけど、聞く?」

「言ってみなさい」

 恩師の披露宴に参加を希望する景の奮闘に端を発し、祥子の全日本志向、尋道の調整を経て最終的に孝子の裁可が下されるまでを、みさとはよどみなく語った。

「なんだよ、それ。私、何も聞いてないぞ」

 蚊帳の外に置かれた不快で、麻弥の口調は我知らず荒くなる。

「違うでしょう」

 一刀両断は、かなえだ。

「お前の行動が遅かったのよ。みさとは、多分、腹案を持っていったのよ。そうしたら、もう決まっていた、と」

「ご名答」

 アイスコーヒーのグラスを揺らしながら、みさとは言った。

「割と早めに動いたつもりだったんだけど、あれだね。郷さん、話が出た瞬間には、もう決めてたね」

「じゃあ、なんで、その時に言わなかったんだよ」

「帰りたかったんじゃね? 結構、遅かったし。あの人なりの自負もあったろうし。自分しかいない、っていう。実際、神宮寺は郷さんに、期待してる、って言ってたよね。ある意味、出来レース」

 勢いよくアイスコーヒーの残りを空け、グラスを机置くや、あーあ、とみさとは背筋を伸ばす。

「割って入りたかったんだけどな。私が外に出てる間に、あの二人の連携が、すごいことになってる」

「かなえさんにとっては、いい傾向じゃないの」

 いつの間にか事務室に入り込んでいた英明がつぶやいた。

「お父さん、何の話?」

「彼が鉄壁であればあるほど、二人がうちに残ってくれる確率が高まるわけだから」

「そうね。彼には、ぜひ、頑張ってほしいわ」

「ほざいてな。税理士登録が済んだら、さっさと出ていくよ」

「そう、うまくいくかな? お前たちの帰る場所は、まだカラーズさんにあるのかな?」

「あるに決まってるじゃない」

 挑発的な副所長の物言いに、みさとは反ばくする。

「そう? カラーズさんの規模を考えれば、あの子だけで十分じゃない? 子飼いの育成も順調らしいし。ああ。そうだ。さっき、名前の出た子たちって、郷本君の子飼いじゃないの」

 かなえは顔をほころばせた。

「外を見せて経験を積ませる魂胆ね。やる、やる。うん。お前たち、彼に勝つのは難しいわよ。諦めて、うちに骨を埋める覚悟を決めなさいな」

 副所長の述懐に麻弥はむせた。常々、事務所の後継者としてのみさとと、決まり切った業務をやらせる分には優秀、と自ら評した麻弥とに、斎藤英明税理士事務所への帰服を熱烈に勧奨してくる同氏なのだ。

「冗談じゃないよ」

「だって、そもそもの姿勢が違う。お前たちって、自分たちのボスに対して友だち感覚でいるよね。彼は、そうじゃない。部下になり切ってる。お前たちが助力なら、あちらは奉仕だもの。ボスにしてみれば、どっちの勝手がいいか、って」

 それは、後者に決まってる、と副所長は、したり顔でのたまう。

「郷本君にしたって、目の上のたんこぶどもがいなくなってくれれば、より才幹を発揮しやすいでしょうし。カラーズさんのためにも、お前たちは、うちに来るしかない」

「うるっさいな。絶対に出ていってやる」

「利かん気、結構」

 娘の宣言に、かなえは余裕綽々だ。

「麻弥さえ手放さなければ、お前も友だちを置いてきぼりにしたままにはしておけないでしょうしね」

「残念でした。一緒に連れていきまーす。ねえ。……おい! あんた、大丈夫なの? しっかりしてー!」

 自失していた。かなえの言は、いちいちもっともで、自分がのっぴきならない立場にあることを、いやでも実感させられてしまったのである。

「はじき返すんだよ。こんな、おばさんの言い分なんか」

「無理。そんな元気な子じゃない。そして、元気がなければ、彼には勝てない」

「いや。郷さんは味方だっての。勝つ必要はないっての」

 引き続く親子の相克が、はるかの出来事のようだ。みさとの言うとおり、尋道に勝つ必要はない。ただ、伍する必要は、ある。自分に可能なのか。可能、なのか。カラーズへの復帰を念頭に続けてきた研修は、重大な節目を迎えている感があった。今は、麻弥の正念場、なのだろう。

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