第六六〇話 羅針儀(九)
ホームパーティーを締めくくるデザートはメロンタルトだった。一品の、ショーケースに陳列されているかのようなきらびやかさに舌を巻きつつ、気楽に手づかみで、という料理人の言葉に従って、祥子は存分にかぶり付く。
各自がめいめいの速度で若緑の小山に相対している最中である。給仕の間で中断していた話が再開した。接ぎ穂を持ち出してきたのは佐伯だ。
「ねえ。伊央さん」
「なんだ?」
「そういえば詳しく聞いたことってなかったと思うけど、北崎さんとのトレーニングって、具体的には何をするの?」
「私、見てた。ロザリンドって、日差しが強くてね。北崎が、外に出たくない、って言って、ずっと空港のそばのアミューズメントセンターでやってたよ」
大ぶりのタルトを豪快に切り崩しながらの孝子が言う。
「アミューズメントセンター?」
「体感型、っていうの? ダーツとか、野球のボールを使った的当てとか。そんな感じのやつを、片っ端から」
「それ、遊んでただけじゃなくて?」
「いや」
ぼそりとした声に注目が集まった。奥村だった。
「北崎さんは伊央さんの体の端々に血を通わせたかったんだ」
独特の表現を、種々の活動を通じた運動能力の錬磨、と祥子は解した。うっかり思い付いてしまった、大男総身に血が回りかね、というもじりは、おくびにも出さない。出せない。
「じゃあ、少しは通ったのかな。イオケン、最初、野球のボールが的まで届かなかったもん。手前で、ぼよん、って。ゴルフの打ちっ放しもやったんだけど、空振りするし。でも、最後には、なんとか見られるようになって。特に、ダーツの点数なんか、三倍ぐらいになったね」
「何点くらいに?」
「六〇〇点にちょっと足らず、ぐらいだったかな」
「カウントアップかな。結構、いいじゃないですか」
「おはるは一〇〇〇点を超えてたけどね」
ダーツのルールに無知な祥子であっても、一〇〇〇点がただならぬ点数ということは、容易に察せられた。何しろ、間抜け面一歩手前の、佐伯の顔である。
「へええええ。北崎さん、ダーツ、得意なんだ? それ、プロ級だよ」
「北崎、ダーツやったの、今回が初めて、って言ってたけど」
「はああああ」
先ほどから佐伯の驚きようといったらない。
「さすがは、なんとかの天才」
「『至上の天才』、ね」
「それそれ。これは、体の端々どころか、毛先、つま先にまで血が通ってる感じだね」
思い人を絶賛され、ほくほくしている伊央であったが、その表情が一変したのは、佐伯の、次の述懐による。
「僕も北崎さんに教わろうかな」
「駄目だよ。おはるちゃんは俺のものだ」
「いや、僕、別に、付き合いたい、とか言ってるわけじゃないんで。いいでしょうよ。F.C.で同じ釜の飯を食った同士、一緒に頑張ったって」
「駄目だ」
「もしもがあるなら、僕も『奥村ジャパン』に入りたいんですよ」
「他を当たれ」
「なんで、そんなに意地悪なんですか」
とんだ艶話に、どっと哄笑が湧き起こる。
「佐伯君は大丈夫だよ」
メロンタルトを平らげ、食後の一服に移っていた奥村が言う。
「技術的な問題はない。ただ、一人で局面打開できる人じゃないから、イギリスみたいな相手だと消えてしまうよね。でも、あれは周りがだらしなかったせいだ。僕の日本代表が実現するなら、あんな事態は起こり得ない」
「と、周囲の一人が申してるんだし、乗せられておいたらいいんじゃない?」
「いえ」
さしもの孝子もあっけに取られた奥村の弁明は、次のようになる。
「アロジーが、ずっと僕をマークできたのも、周りがだらしないせいです。佐伯君が消えたことについて、僕は、一切、関係ありません」




