表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未知標  作者: 一族
66/711

第六五話 姉妹(一八)

 ナジョガク帰りの車内は、運転席に変わらず春菜、助手席に静、そして、後部座席にはジャージー姿の佳世が乗っている。一日預かる、と松波に断って、春菜が引っ張ってきたのだ。その佳世は、うつむき加減の、硬い表情である。初見の三人との対面を前に緊張し切っているのだ。

「佳世ち。大丈夫。みんな、いい人だよ。お姉ちゃんだけは、ちょっと怖いかもだけど」

 振り返って言う静は、満面の笑みで、佳世を愛称で呼ぶなど、上機嫌だ。静を喜ばせたのは、春菜の評であった。自分が春菜を意識するほどには、春菜は自分を意識してはいない、と思っていたところに、まさかライバル宣言をされるほどに買われていたとは。認められた愉悦は、計り知れないものだった。

「そうだ。行きに、静さんとも話したんだけど。池田、もうスカウトが来てるでしょう?」

「え? なんの、ですか?」

「進路。重工かウェヌスのスカウトが来てるでしょ? 私のときも、二年になってすぐぐらいで来てたし」

 重工とは、高鷲(たかす)重工業株式会社を母体企業とする高鷲重工アストロノーツを指す。ウェヌスとは、株式会社ウェヌスを母体企業とするウェヌススプリームスを指す。共に日本の女子バスケットボール界を代表する強豪チームだ。両チームにとって、高校最強豪のナジョガクは重要な選手の供給源なのである。実際、共に現所属メンバーの半数近くをナジョガク出身者が占めている。

「来てます」

「どっちか行くの?」

「……いえ、まだ、考えてる最中です」

「舞浜大においで。その気があるなら、松波先生には私が話してあげる」

「本当ですか!?」

 もごもごとした口調が一転して、佳世の明るい声が車内に響いた。

「うん。各務先生は、さすが長沢先輩のお師匠さん。なかなかいい先生だよ。池田もやりやすいと思う」

「はい。北崎さん、ぜひ、お願いします!」

「……これは、私も景とサチとまどかを呼ばないと」

 静も鶴ヶ丘のチームメートの名を挙げる。

「そうなったら、いいですね」

「あ。なんか、冷ややかなコメント」

「いえ。大学ともなると、学費とか、生活費とか、いろいろありますから。池田の家には、一回だけ遊びに行ったことがあって、いい家に住んでたんで、大丈夫とは思ってるんですけど。舞浜大も国立ですし」

 この春菜の言葉は、発言者の予想以上に静に痛撃を与えた。チームメート三人の、家庭の事情を詳細に把握している静では、もちろんない。しかし、とっさに思い浮かんだのは高遠祥子のことだった。祥子は、おそらく進学しない。できないだろう、という認識がある。

 祥子の家は「鶴や」というラーメン店だ。静も、たまに顔を出すが、まずまずの味で、まずまずの客の入りの、古い、汚い店である。もうかっている、という地点までは到達していないらしいのは、祥子のやぼったい私服姿や、今どき珍しいスマートフォン不所持の高校生、というあたりで、なんとはなしに想像できる。ちなみに、静もスマートフォンを持っていないが、これは、母親の教育方針によるものだ。

 黙りこくってしまった静に、春菜も佳世も、以後は鳴りを潜める。やがて田園風景の中に、浮島のような北崎家の家屋が見えてきた。

「あれ、麻弥ちがいる……」

「確かに、正村さんですね」

 北崎家の敷地からは少し離れた農道に、しゃがみ込んでいる麻弥の姿があった。

「正村さん、どうされましたか。そんな所で、暑くないですか」

 農道に車を入れ、降り立った春菜が声を掛けた。まだ時刻は午後六時前で、辺りは十分に明るく、気温も高い。

「……むしろ、寒い」

 畑のほうを向いたまま、麻弥は視線を動かさない。

「どうしたの、麻弥ち……?」

 普段とはまるで違う麻弥の弱々しい様子に、静も車を降りて隣にしゃがむ。

「……メロン、食べ過ぎた」

「……じゃあ、那美も?」

「……あいつは、トイレに入りっ放し。孝子が怒る、怒る」

「そりゃそうだよ」

 あきれ返った静が視線を移すと、しゃがみ込んだ麻弥の身に着けたポロシャツとデニムパンツが、それぞれ上下にずれて、黒いショーツがのぞいている。

「麻弥ち。パンツ、見えてる」

「……エロ静」

「見たんじゃないの。見えてるの」

 静は裾を引き下ろそうとするが、麻弥の非協力的な態度で奏功しない。

「これ、どうぞ」

 車を降りてきた佳世が、ジャージーの上着を麻弥の肩から掛けた。一八九センチがまとっていたものだけに、ジャージーは麻弥の尻までをきれいに覆った。

「……おっす」

 ちらと見やって、麻弥は右手を上げる。

「……私には構わないでいいよ。というか、構うな。話してると、こみ上げてきそうになる。行って」

 そう言って、麻弥は視線を戻す。本当に大丈夫ですか、と春菜が言っても、もはや反応すらしない。仕方なく三人は車に戻り、北崎家の敷地に向かう。途中、振り返って静が確認しても、麻弥は全く同じ姿勢のままだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ