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未知標  作者: 一族
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第六五三話 羅針儀(二)

 時分時は果て、舞姫館の食堂に、一つ、また一つ、と空席が生じ始めていた。後輩の伊澤まどかと食後の雑談を続けていた祥子も、潮時と腰を上げかけた、その時である。

「失礼します」

 食堂の入り口からの声は尋道だった。

「あ。郷本さん。どうされたんですか?」

「井幡さんに、車のお礼を、ね」

 掲げた紙袋は菓子折と祥子はみた。

「あ。いいんですよ。そんな」

 奥で舞姫ヘッドコーチの中村憲彦、同アシスタントコーチの雪吹彰と話し込んでいた井幡が寄ってくる。

「いいえ。不見識なドライバーは、自分だけでなく他人にも迷惑を掛けますので。車を貸していただけて、本当によかった。これ、ささやかですが、お礼です。ありがとうございました」

 口ぶりから判断するに尋道は、井幡の処方を見抜いていたようである。

「だって、そうでしょう。高遠さんもたびたび、同じ業務に就いているにもかかわらず、そのときには配慮がなく、なぜだか今回は、となれば、何もない、と思うほうが、どうかしてるじゃないですか」

「あの、須之内先輩は?」

「途中の信号で離れちゃいましたね。じきに来るでしょう」

 尋道の言葉どおり、景は間もなく食堂に姿を見せた。

「須之内先輩!」

「高遠。秒でばれた」

「伺いました」

「めっちゃ怒られた。伊澤の弟と重工の方が止めてくれたもん。穏便に、って」

「そんな話は、どうだっていいんですよ。先に井幡さんに車の鍵をお返しして、あと、お礼を言いなさい」

 一喝に、景のみならず食堂にいた全員の背筋が、しゃっきりと伸びたことである。

「郷本さん。よろしかったら、コーヒー、いかがですか?」

 三者面談が終わったところを見計らって祥子は進み出た。

「久しぶりなのでアイスにしますよ。ここの自販機、やたらにいいアイスを入れてるんですよね」

「はい。何にしましょう?」

「いや。自分で出しますよ」

「何にしましょーう!」

 尋道は苦笑だ。

「あさっての方向に育ってますね。バニラで」

 ぱっと買い、さっと運ぶ。手渡した後は、尋道の前にしゃがみ込んで接待に移ろうとするも、落ち着かないので、遠慮してくれ、と言われた。それでは、と立ち上がって、引き続き尋道のそばに控える。

「郷本さん。重工へは須之内先輩を心配されて?」

「いいえ。心配まではしていませんでしたが、出先からの帰りしなだったもので、ついでに、ね。そうしたら、須之内さんにとっては、運の悪いことに、と」

 祥子の隣に来て並び立っていた景が首をすくめた。

「その前は、どちらでお仕事を?」

「東京空港です」

 アメリカに向かう孝子と伊央とを送迎したのだ、と尋道は語った。

「珍しい組み合わせのような」

「中村さんと井幡さんと、あと、須之内さんはご存じでしょうが、伊央さん、北崎さんにお熱だったでしょう?」

「ああ。ユニバースで」

 二年前、二人の邂逅の場に居合わせたという中村がつぶやく。

「それです。で、伊央さん、アメリカは初めてだわ、英語はできないわ、で」

「お姉さんがガイド役に?」

「ええ」

「やっぱりサッカーづいてる」

 一週間ほど前に発したせりふを祥子は繰り返した。サッカー日本代表、奥村紳一郎の引っ越しに力こぶを入れる孝子と尋道に向けたものである。

「郷本さん。この間、おっしゃっていた、バスケットボールにも思いをはせてる、って、結局、なんだったんですか? 私、バスケ関連のニュース、注意して見てますけど、何も」

「九月一日まで、まだ間がありますよ」

 九月一日とは、なんの日であったか。

「日本リーグに所属しているんだったら、それぐらい、すぐにわかってくださいよ」

「ロスター発表ですね」

 これまで黙然と話を聞いていた彰が声を上げた。

「そうです。あとは、作法にのっとっていませんが、謎掛けを一つ。『ビッグガード例外条項』と掛けて、重工アストロノーツ部長付アドバイザー、神宮寺孝子と解く。その意は、と。では、須之内さん。ぼちぼち引き上げましょうか」

 言い終わるや尋道は立ち上がった。止める間もなく、そそくさ舞姫館を辞していく。景を引き連れ、封を開かぬままのバニラアイスを携えて。

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