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未知標  作者: 一族
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第六五一話 週末の騎士(二六)

 サッカー世界選手権イギリス大会を終えた日本代表の帰国は、三位決定戦から二日が過ぎた日の正午だ。一カ月の長きに及んだ彼らの大熱戦および世界第四位という大躍進を受け、東京空港の近辺は歓迎する人々が殺到し、大変なありさまとなっていたとか。

「遅かったね。まさか、ずっと混雑に巻き込まれていたわけじゃないでしょう?」」

 昼間のニュースを元に孝子が問うた相手は、カラーズの契約アスリートたちを送迎すべく現地に出向いていた尋道と、彼に引き連れられてきた伊央健翔である。アルバイトを終えて帰宅した午後七時過ぎに「本家」の前で鉢合わせた。

「いえ。ずっとホテルにいたんですよ」

 日本代表の帰国会見が行われた東京エアポートホテルにて会議室を借り、先ほどまで詰めていたという。

「さすがは得点王。取材の申し込みが殺到しましてね」

「お昼から、今まで、ずっと取材!?」

 尋道の説明を受けて、そう驚愕したのは、ロンドを抱えて孝子を待ち構えていた那美だ。

「ええ。ずっと」

「大変じゃなかったー?」

「まあ、待って」

 愛犬を受け取り、手荷物は那美に、と動作しながら孝子は続けた。

「そのあたりの土産話は中で聞こうよ。ああ。イオケン。食事は、どうする? 私たち、佳世君を待つから、もう少し後なんだけど、何か軽く作る?」

「取材の合間合間につまんでたんで大丈夫」

「あいよ。じゃあ、入って」

 孝子は顎をしゃくって「本家」を示した。場は伊央の部屋へと移る。

「さっきの続きだけど、取材する側は入れ替わり立ち替わりでも、取材される伊央さんは一人だよね。大変だったでしょう?」

 円座の席次が定まったところで那美が始めた。

「取材は、別に。ただ、みんな、同じことを聞いてくるのがな」

「どんなー?」

「やっぱり、奥村の、あれ、だな。どう感じた、どう感じた、って」

「どう感じたの?」

「あの体たらくは、言われても仕方ないだろう、って。聞かれるたびに言ったよ」

 まんざら虚勢を張っているわけでもないようだった。伊央に憤慨している様子は全くなく、のほほんとした表情を浮かべている。

「イオケンって、ユニバースの時にも紳の字に、ぼろくそに言われてたけど、怒らなかったね」

 身体能力過多、運動能力過小の下手くそとして、奥村にこき下ろされた過去が伊央にはある。

「怒る理由がないじゃないか。あのころの俺は、まあ、下手だった」

「気が大きいな。おはるみたいな子にほれたりとか。あの子にも、結構、雑にあしらわれてたのに。私だったら、紳の字も、おはるも、悪口、速攻、激高、絶交、だけど」

「韻を踏むじゃないの」

 屈託のない笑顔は、伊央の善良な人となりの証左であろう。眺めているうちに、少しく胸がうずきだした。奥村に、あれ、を言わせて、この快男児を間接的に、こけにしてしまった孝子なのだ。

「ああ。おはるちゃんで思い出した。おケイに頼みがあるんだ」

「なんじゃい」

 七月いっぱいの休暇を利用して、アメリカに行きたい、という伊央の希望だった。片恋の相手、北崎春菜が所属するロザリンド・スプリングスの試合を観戦するのだ。

「ただ、俺、アメリカは行ったことなくてさ。英語もできないし。おケイ。金は出すから付いてきてくれないか?」

「だったら、私が付いていってあげる! 私、アメリカに行ったことあるし、英語もできるよ! やったね!」

「那美さんは大学の考査が始まるでしょう。伊央さんの休暇は七月いっぱいなので、あなたでは駄目なんです」

 名乗り出たお調子者は、即座に尋道によって撃退された。

「あ。郷本君でもいいぜ? 君、英語、できたよな?」

「残念。大前提として、僕、パスポートを持ってません」

「これっぽっちも残念そうじゃないし。まあ、いいや。付いていってやろう。感謝しろ。郷本君。プランニングをお願いしてもいい?」

「わかりました」

「飛行機はファーストクラスね。さあ。人の金で豪遊してやろう、っと」

 軽口とは裏腹に、孝子の胸中は穏やかでない。快男児への埋め合わせの機とみて、たぎりだしている。鍵を握るのは、おそらく、北崎春菜なのだ。身体能力の天才と、運動能力の天才との、さらなる交流を実現させたい。そうすれば、伊央の飛躍は疑いなく、成る。奥村に十把ひとからげにされるがごとき事態は、もはや起こり得ず、孝子の憂さも晴れること、請け合いだった。以上、腰の重い女が、珍しく二つ返事でアメリカ行きを承諾した裏には、そんな思惑があったのである。

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