第六四九話 週末の騎士(二四)
奥村の母が速やかに新居での生活を始められるよう、今日一日で大方は片付けるのだ、と定められた朝一は午前八時だ。奥村の在地である舞浜市北西部、碧区田鶴までかかる、およそ一時間の移動時間を計算に入れたとき、始動すべきは午前七時となる。
というわけで、孝子は午前六時五〇分に家を出た。車で参上する、と言われていたので、神宮寺家の西門前に立って待つ。孝子の傍らにはロンドを抱えた那美と孝子の手荷物を預かった佳世とが、見送りと称して付き従っている。
「こんな時間なのに、もう暑い」
「そんな格好して言うせりふ?」
Tシャツにショートパンツ姿の那美が言った。言われた孝子は上下をウルトラマリンのジャージーで固めている。かつて伊央に贈られた舞浜F.C.のジャージーだ。
「人足だから仕方ないでしょう」
「暑く感じるのはセミのせいもあるかもしれませんね」
那美と同じく涼やかな格好の佳世が周囲を見回した。確かに、連中、朝っぱらだというのに、盛大にやっている。
「セミの鳴き声が聞こえるだけで、体感温度が上がる気がしますよ」
「確かにー」
「絶滅しろ」
「なんてことを言うの。セミだって、せっかくおてんとうさまの下に出てこられたところなのに」
たちの悪い冗談ではあった。やり過ごすべく、他の話題を探そうとした、その時だ。折よくかなたに黒いバンが見えた。舞浜ロケッツの社用車を借りる、と聞いている。おそらく、あれだ。
「おはようございます」
目の前に黒いバンがとまった。助手席のドアが開き、降り立ってきたのは、マリンブルーのジャージーに身を包んだ高遠祥子であった。
「お。さては駆り出されたな」
「いえ。勤怠管理を見て、お手伝いさせていただきたい、と名乗り出ました」
「ほう。じゃあ、税理士どもも来るかな?」
「平日ですし、高遠さんが名乗りを上げてくれたので」
言いながら運転席側から尋道が回ってきた。これもウルトラマリンのジャージーだ。
「ペアルックはやめろ」
「ペアルックではありません。あなたのはF.C.さんのジャージーでしょう。僕のはベアトリスさんのジャージーです」
「そんなの、いつ買ったの?」
「だいぶ前ですよ。『本家』さんのお引っ越しをお手伝いした時も着てましたが、覚えてませんか?」
「覚えてない」
「あ。私、今日はフルタイムでお手伝いしますので。よろしくお願いします」
唐突に、祥子だった。
「練習は?」
「お休みします」
「怒られるぞ」
「いえ。ぜひ、行ってこい、って。井幡さん、カラーズからの舞姫への関心が薄くなってることに、すごい危機感を抱いてるんですよ。でも、慧眼でした。お二人とも、すっかりサッカーづいちゃって」
「バスケットボールにも思いをはせていますよ」
それなりに長い付き合いだ。尋道的な、と評すべき言い回しに、孝子は気付いた。
「舞姫と言わずにバスケットボールって言ったね」
舞姫への関心が薄くなってる、という指摘については、認否を明らかにしていない、に通ずるわけである。
「言葉尻を捉えるのはやめていただけませんかね」
「違った?」
「違いません」
「郷本さん。かわいい部下を見捨てるんですか」
すがり付くまねをするなど、祥子にも成長の跡がうかがえる。
「ここまで育った子は、捨てないよねえ」
「ええ。それに舞姫さんのためにもなることですよ」
「どのような?」
「先方のある話ですので、僕の口からは。いずれ発表があると思いますので、お楽しみに」
おしゃべりは、ここまでだ。三人は車に乗り込んだ。運転は尋道、助手席に祥子、後部座席でふんぞり返る孝子、という配置である。
「行ってこーい」
那美に気の抜けた声を背に、車は動きだした。




