第六四八話 週末の騎士(二三)
常と変わらぬ「本家」の夕食だった。広いDKでは、孝子、那美、美咲、佳世の四人が食卓を囲んでいる。この日のメニューは、大ぶりなあじのつくねが目立つみぞれ鍋である。
よく煮えた大根を持て余すうちに、ふと孝子の目に入ったものがある。ほくそ笑む美咲の姿だ。
「ママ。悪い顔して、どうしたの?」
「え。ああ。思い出し笑い」
「美咲叔母さん。何かいいことでもあったの?」
「あったねえ」
神宮寺家の当代姉妹が大恩ある叔母のために建てた老人ホーム、「双葉の塔の家」の空室が埋まった、という。
「成美叔母さんの下のフロアね。間取りが、成美叔母さんの部屋と一緒の特別仕様だから、高いんだよ」
「成美大叔母さまのお部屋、かなり広いですものね」
「うん。年度末に空き部屋になって、今まで、芳しい反応がなかったんだけど、それが今日、一気に動いて。つい、にやにや」
「前は、ひげのおじいちゃんが住んでたよね? あのおじいちゃん、どうしたの? 亡くなったの?」
わんに取ったつくねと格闘しながら那美が言った。
「いや。ご令嬢が開業した医院に、理事長として招かれたのよ。千葉だって」
「へえ」
「次も、ご存じの方ですか?」
那美の言ったところの、ひげのおじいちゃん氏は、成美の後輩であったはずだ。次の居住者も、その手の関係者か、と孝子は問うたのだ。
「サッカーの、奥村紳一郎君ね。君の懐刀に紹介してもらったのさ」
郷本尋道だ。こちらのあずかり知らぬうちに、何を暗躍しているのか。たださねばなるまい。
食事が済み次第、突撃した。いい顔をされないのは予想済みなので、ロンドを抱えていく。
「おや。ロン君じゃないですか」
あいさつもそこそこに尋道は手を伸ばしてくる。郷本家の玄関先における一幕だ。
「まずは、中に入れろ」
「ロン君を渡すのが先です」
「仕方ないな」
愛犬を手渡すと見慣れた感もある応接室に通された。
「何かいります?」
「いや。ご飯食べたばかり。何も入らない」
「わかりました」
相対して、打って出る。
「美咲おばさまに聞いたんだけど。紳の字に『双葉の塔の家』の部屋を売ったって?」
「奥村君の代表引退宣言って、かなりの反響を呼んでましてね。否のほうが圧倒的に多数を占める賛否両論ですよ」
「だろうね」
「あの人は馬耳東風なので、問題ありませんが、身近な方、具体的にはおばさんに、多大なる迷惑が掛かる可能性が、非常に高い。そこで、住環境の整った『双葉の塔の家』は、いかがでしょう、と。あそこなら、一切、外界と関わらずに生活できますしね」
「双葉の塔の家」を管理、運営するスタッフを使えば、確かに、尋道の言ったとおりとなる。
「でも、あそこって、老人ホームでしょう? 奥村君のお母さま、入れるの?」
入居資格に抵触しないか、と孝子は問うている。
「六階ですか。あのフロアだけ分譲マンションに転用します。元々、一階にはクリニックが入っていましたし、より複合施設化を進めた形ですね」
「くせ者」
「ねえ。ロン君。どうしてあなたのご主人さまは、僕を、ああ、あしざまに言うんですか」
抱え上げたロンドに、尋道は語り掛けている。
「美咲先生が、売れない、とこぼしていたのを覚えていて、こういう売り方は可能ですか、と打診したに過ぎないのに」
「日ごろの行いが悪いからだわん」
「ところで」
せっかく犬語を通訳してやったのに軽くいなされて、孝子は頬を膨らませた。
「明日は、お暇ですか」
「いや。多忙」
「暇なんですね。おばさんには早急に移動していただくべき、と思いまして。お引っ越し、手伝ってください」
「多忙だ、って言ったのが聞こえなかったの?」
「本当に多忙なら、まず説明をしてくださいますよ。あなたは」
そのとおりなので、舌打ちしかない。
「くそ。紳の字にやらせろ」
「役に立ちそうにないですよ。だいたい、帰国、四日後ですし」
「何をやってるの、あいつは。とっくにベアトリスには着いてるはずでしょう?」
「ビジネスジェットともなれば、思い立ったが吉日、とはいかないようで」
孝子は鼻を鳴らした。さらに言い返そうとした、その時である。尋道の腕を抜け出したロンドが飛び付いてきた。猛然と甘えてくる。
「なんだ。駄犬」
「孝子さま。尋道君を手伝ってあげてほしいわん」
「言ってねえ」
「ありがとうございます」
「茶番を続けるな」
実際は、むきになるほどの拒否感があるわけでもない。付き合ってやるとしよう。こうして孝子は、明日、朝一からの作業を了承したのであった。




