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未知標  作者: 一族
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第六四六話 週末の騎士(二一)

 食事が済み、孝子と氷室の前には、尋道によって供されたアイスとホットのコーヒーがある。アイスが孝子で、ホットが氷室だ。ミーティングの時間である。

 口火を切ったのは氷室だった。奥村の動向を問われ、知るわけもない孝子は隣の尋道に、そのまま放り投げた。

「紳の字は、さっき、何か言ってた?」

「ええ。すぐに帰国するつもりらしいですね」

「何!? 三位決定戦は!?」

 叫声が食堂に響き渡った。当然、耳目を引く。どうにも、この一団は、他人の食事を邪魔せずにおかないようだった。

「出ない、と聞いてます」

 対する尋道の声は淡々としている。

「ベアトリスに移動して、そこからチームの飛行機を使うそうで。あの調子だと、もうイギリスをたっているかもしれませんね」

 準決勝が終了して早五時間だ。尋道の口調は冗談めかしたものだったが、十分に考えられる、と孝子はみていた。そこで、確認のメッセージを送ってみると、なんと奥村は就寝していた。ちょんぼである。現地との時差を考慮していなかった。日本の正午過ぎはイギリスの早朝となる。

「おい。寝てたぞ」

 通信を終えた孝子は尋道に抗議した。

「それは、そうでしょう。時差がありますし」

「わかってるなら言うなよ。起こしちゃったじゃないの。というわけで、あの人、さすがに、まだイギリスにいたよ。朝一でベアトリスに行くって」

「止めてくれたか?」

「なんで、私が」

 勢い込んできた氷室をいなしつつ、孝子は考えた。そろそろ潮時かもしれなかった。思うさまに振る舞って、後始末を尋道に押し付けてやるのである。

「私、人の意志は尊重するほうなの。やめたいなら、やめたらいいんだよ。あの人の自由」

「そんなことを言ってる場合じゃない。今でも記録更新だけど、次に勝てば、三位だぞ。三位。日本サッカー、始まって以来の快挙なんだ。君、頼むよ。あいつ、君の言うことだけは聞くじゃないか」

 じろりと氷室を見る。

「嫌なこった。と、断られたからって、逆恨みしないでよ。文句は、紳の字に愛想を尽かされるようなへぼどもに言って。前に、あなた、ほざいてたよね。紳の字は世界のサッカー史でも屈指のタレント、とか。そんな男を擁しておきながら準決勝止まり? 情けない」

 ここぞとばかりに畳み掛ける。

「そうだ。氷室さん。代表監督、やらない?」

「は?」

「紳の字も納得する強いチームを作りなよ。そうしたら、紳の字に口を利いてあげる。で、目指せ、世界選手権優勝」

 あまりの飛躍に、氷室、声もなし。漏れ聞こえていたのだろう。周囲の音も消失した。横目で確認すると、さしもの尋道も、あぜんとしている。

「いつだったっけ。指導者をやる準備もつてもない、って言ってたけど」

 後に思い起こしてみれば、今年の二月だった。氷室と彼の幼なじみ、剣崎との功名比べの最中に出た一節からの引用となる。

「あれから、どう過ごしてたの? 準備は? つては? まさか、ぼけっとしていたわけじゃないでしょうね?」

「君。俺は、現役だぜ?」

 絞り出されてきた反論を容赦なく一蹴する。

「それが、どうした。世の中には、やるか、やらないか、の二つしかないんだよ」

 極端に走るのは、良きにつけ悪しきにつけ、孝子の特徴的な人となりだ。

「で、やらない、と。じゃあ、私も紳の字に口を利いてあげない」

 孝子はやおら立ち上がった。

「帰る。お昼、ごちそうさまでした。郷本君は、どうする?」

「まだ途中なので、いただいて帰りますよ。どうぞ、お構いなく」

 目の前には、中身がほとんど氷水と化したグラスがあるだけのくせして、何が、まだ途中、だ。こやつほどの男が、こんなような程度の口実しか思い付かないとは、よっぽど動揺しているものとみえる。満足だった。極めて満足だった。

「そう。じゃあ、お先」

 食器を返却口に置き、孝子は意気揚々と食堂を後にした。さあ。詐欺師め。この事態を、どう収めるつもりか。お手並み拝見といく。

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