第六四五話 週末の騎士(二〇)
猛攻は、氷室の一声で収まった。基佳に対して遠慮が通告されたのだ。憤然として去る基佳を追って、よせばいいのに孝子は駄目押しをする。
「収支報告書、後で送ってやる」
立ち止まった基佳の体は、見て取れるぐらいに震えていたことだ。
食堂の隅に座を占めたところで、孝子は尋道にささやきかけた。氷室はビュッフェを回ってる。前回、ただ飯にあずかった時と同じ、サラダ、フルーツ、ヨーグルトでまとめた孝子と、アイスコーヒーのみの尋道という組み合わせならではの早業が、合間を生じさせた形となる。
「あのね」
「はい」
「さっきのは、あいつが悪い」
「わかってます」
特大の嘆息だ。
「吹っ掛けないでくれ、と言ったのに」
「絶交だ」
「ご随意に、どうぞ。カラーズとしては、元々、縁遠くなっていた方ですので、わざわざ宣告したりはしませんよ」
「どうぞ、ご随意に」
そこへトレーを手に氷室が戻ってきた。
「お待たせ。ああ。おっかないなあ」
「何が」
「君だよ。君」
孝子は鼻で笑ってみせた。
「そうだ」
相変わらずの健啖ぶりを示していた氷室が顔を上げたのは、食事が始まって五分ほどたったころだった。
「さっきの、さ。収支の話。本当に出すのかい?」
「出してもらう。白黒、つけてやる」
「なかなかの手間暇になると思うんだが。こちらも、そう人手が余ってるわけではなくてね」
「だったら、第三者を手配するよ。費用も、こっちで出す」
孝子が突っぱねると、次に氷室、からめ手から来た。
「やめておかないかい? 友達なんだろう?」
「友達だろうと私に盾突くやつは許さない」
「そんな怖いことを言わずに、さ」
「随分と肩を持つね」
押し出した孝子に、氷室は苦笑いで応じた。
「彼女は、F.C.が抱える数少ない全国区なんでね。あまりひどい目には遭ってほしくないんだよ」
「若手ナンバーワンの実力派として知られる、スポーツキャスターの小早川基佳氏は、舞浜F.C.狂としても、その名をとどろかせていらっしゃいましてね」
横合いから尋道の補足が入った。
「ふうん」
「ここは氷室さんの顔を立てませんか? 見えた勝負でもありますし。いいんじゃないですか。深追いしなくても」
「どう見えてるの?」
「F.C.さんのプラス収支です」
言い切った根拠の説明を孝子は促した。
「F.C.さんは、僕が把握している数字だけで二〇億、奥村君に潤してもらっています」
大きく出た。一体、いかなる出どころの金なのか。続きを待つ。
「伊央さんと佐伯君が移籍した際にF.C.さんの得た『契約解除金』です」
くだんの移籍の成立および発生した「契約解除金」の金額は、奥村の口利きなしに、あり得ないものであった。
「加えて、お二人は大学サッカーの出身ですね。F.C.さんに育成の労を執らせた事実は、ほぼ、ありません」
これすなわち奥村が二〇億円を舞浜F.C.にもたらした、といってよい。
「そのとおり」
尋道の主張を聞いた孝子は高笑いだ。
「思い知ったか。へぼキャスターが」
「収支の算定は、なしでいいですね?」
「よくってよ」
この上、死屍に鞭打つがごときは控えるとする。
「うまく乗りこなすね。じゃじゃ馬を」
箸を休めて二人のやりとりを聞き入っていた氷室が言った。
「馬なりでいいんですから難しいことは何もないですよ。さて。小早川さんの話は、これぐらいにして。奥村君の話に移りませんか?」
「その前に、片付けちゃわない?」
手を付けていなかった昼食に孝子は相対した。同意らしく、氷室も食事を再開する。一人、アイスコーヒーのみの尋道は、手持ち無沙汰に陥ったようで、そのうちに瞑目しだした。
食堂のひとときは、しずしずと流れていく。




