第六三九話 週末の騎士(一四)
SO101の視聴環境が完成した、との報が尋道から届いたのは、七月初旬のことだ。切れ者にしては珍しく時間が掛かって、言い出しより一週間弱がたっていた。
「すみません。遅くなりまして。テレビが、とんでもなく品薄で、ようやく見つかったんですよ。いや、探しました。本当に」
見物に出掛けると、これも珍しい。尋道の、くどくどとした、言い訳だった。二人は、今、窓際に鎮座する八五インチの前に並んで立っている。
「どうして、また」
「日本代表が、本当に優勝しそうなぐらい強くて、テレビがばか売れしてるんですって。ある種の特需ですね」
「ほう」
「おかげで、ラウンド一六に間に合いませんでした。日本代表の試合は、ご覧になりました?」
「見てないけど勝ったのは知ってる」
「頼む、勝ってくれ、と祈ってましたよ。テレビが無駄になる、って」
「祈りが届いたじゃないの。しかし、大きいのを買ったね」
しげしげと八五インチを眺めて、孝子は言った。以前、カラーズが所有しており、現在は舞姫館で使われている六五インチと比較しても、その存在感は際立っていた。
「なんとか手に入ったのが、これだった、というだけでしてね。もう少し小さいほうがよかったんですよ。値段的にも」
「高かった?」
「そこそこ。まあ、カラーズの備品ですし。僕の懐は痛んでませんので、お気遣いなく」
「お気遣いなく、じゃねえ。不良社員が。そこに、直れ」
「お断りします」
「で、次は、いつ?」
今夜だ、と尋道は答えた。サッカー日本代表の次戦、準々決勝第三試合は、日付の変わった午前零時半にキックオフ、となる。
「巡り合わせだね。せっかく新しいテレビも届いたんだし、今夜は夜更かし、しますか」
「僕はしませんよ」
睡眠不足に弱い男は、深夜と早朝の活動を忌避するのである。
「人を乗せておいて、自分は逃げるとか。何を考えてるの。この人でなし」
「なんとでも」
舌打ちをしかけて、はたと思い至った。深夜に単身、SO101でサッカー観戦とは、なかなか乙な行為なのではないか。夜食を取りつつテレビと相対し、試合が終われば、そのまま、眠る。ちょっとした外泊だった。悪くない。
「仕方ない。一人で寂しく見ようっと」
「すみません」
「いいよ。いろいろ持ち込んで楽しむから」
「どなたか誘ってはいかがです?」
「いらない。一人で外泊みたいなのをしたいと思って」
「なるほど。わかりました。では、このテレビについて僕は口をかんしておきましょう」
尋道が口の堅さを発揮したせいなのか、それは定かではなかったが、その日の午後一一時半、SO101の室内に人影は見当たらない。孝子一人だ。ワークデスクを部屋の隅に追いやり、スエットに着替え、わざわざ買い込んだ寝具で寝床をこしらえれば、準備は万端である。
明けての午前零時半。試合が始まった。早速、日本代表が攻める。いやさ奥村の一騎駆けである。足さばき、手さばき、体さばきで対戦相手の赤を翻弄していく。あれよあれよという間に敵陣深く進入し、そのまま、ずどん、ときた。
いきなり絶技を拝めて、孝子はご満悦となった。そこへ追加の一品が届いた。コーナーアークに走り寄った奥村が敬礼し、追ってきた伊央と佐伯が、片膝を突いて、これを称えたのだ。
「ばかどもか」
せりふとは裏腹に、孝子はにんまりとする。パフォーマンスは、予定を変更して、今回から試合を見てやる、勝てよ、などと大上段に送ったメッセージへの反応に違いなかった。
さて。こうなれば、外泊気分の浮かれ者が黙っていられる道理もなく、孝子は敬礼返しに及ぶ。目を見張ったり、口をとがらせたり、澄まし顔を決めてみたり、と趣向を凝らした変顔を添えて、三人衆に送り付けた。その数、奥村に二度、伊央にも二度、佐伯に一度なので、都合、一〇度の敬礼が、この試合では乱れ飛んだことになる。
ちなみに、孝子が、日本代表の失点時にかましてやろうと考えていたサムズダウンは、ついにその機会を得られず、これ、すなわち、圧勝、である。




