第六三話 姉妹(一六)
静がいざなわれたのは、体育館に隣接した学生寮だ。この寮には中等部と高等部のバスケ部員のみが入れる、という。トレーニングルームまで完備されている内部を、ざっと見せてもらった静は、ただただ、ため息だった。
「私立って、本当にすごいですね……」
「でも、これだけの施設があって、今年は公立に負けたんですよ。お笑いですよ」
ケケケ、と人の悪い笑いの春菜である。
見学が済むと応接室に通された。室内には、トロフィー、記念盾、賞状といったものが、ぎっしり陳列されていた。数え切れないとは、まさにこのことだろう。
「さて」
居住まいを正した松波と佳世からの、改めての謝罪だった。併せて、佳世の両親に預かったという見舞金も提出された。謝罪はいいとして、見舞金には困惑した静だったが、ひとまずは、ということで納めることにする。
「本当に、よく来てくれたね。実は、佳世と佳世のご両親と一緒に伺わせてもらおうと思っていたんだけど、長沢さんに、静養中なので遠慮してくれ、って言われて、どうしたものかと」
「ああ。そうだったんですか……。すみません」
「静さん、私の大ファインプレーだったじゃないですか。がん首そろえて来られても迷惑でしょう」
「ええ……? いや、そんなことは……」
ノックがあり、会話が中断した。寮母がコーヒーと茶菓子を運んできたのだ。これを機とみて、静は話題の転換を図る。自分の油断が主たる原因、と感じている一件についての話題を、これ以上は続けたくはなかった。転換先の話の種なら、ある。那古野行きの目的、池田佳世と会う、ナジョガクを見学する、そして、もう一つが、松波に話を聞く、だ。これを果たそうというのである。
「松波先生」
「うん」
「春菜さんの打倒を目指す身として、春菜さんのことが知りたいです。ここにいたころの春菜さんって、どんな生徒さんでしたか」
「秘密です」
春菜の即答だった。
「普通です。普通の生徒でした。終わり」
「普通、ねえ。お前が普通だったら、他の子たちはなんなんだ、って話だよ」
笑いながら松波が春菜を制した。師弟の出会いは、緑南市で開催されたミニバスケットボールの大会においてだ。中高一貫教育校のナジョガクにあって、中等部からの六年間をかけて部員を一人前に育て上げる、というのが松波の手法である。当然、選手の供給源となるミニバスケットボールの試合の視察は、自ら、または人を遣わして、熱心に行っている。
「緑南ミニバスケットボールクラブ」というチームに、春菜はいた。その存在が松波の目に留まったのは、小学四年で既に一七〇を超える長身のためではなく、その長身を生かしたプレーを全くしていないこと、だった。高い技術で相手選手を翻弄し、次々に得点を挙げていく。実に洗練されたプレーをする女児だ、と松波は感心したのだ。
「洗練」の理由は、すぐにわかった。と、このときの松波は思ったのだ。メンバー表を見れば、チーム代表者の欄にあったのは、かつての教え子の名であった。確かに、あの女児のプレーには、彼が指導してきた要素が、色濃く出ていた。
「三橋。お前が育てた子か」
試合を終えたばかりの緑南ミニバスケットボールクラブベンチに、松波は顔を出した。しかし、かつての教え子の返答は否であった。
「いえ。うちに入ってきたとこには、もう、こんな感じだったんです。初心者だ、って言ってますけど、どう見ても初心者じゃないんですよね」
紹介を受けた松波が相対すると、自分より背の低い老爺に――松波は、かなり小兵の人である――春菜は、にっと笑い掛けた。
「本、読みました」
「本」とは、聞けば、かつて松波が執筆したバスケットボールの教本のことだった。
「え? 本を読んだだけで、あんなにうまくなったんですか!?」
「読んだだけじゃないですよ。理解して、実践したんです」
「そりゃあ、私の本に書いてあることを間違いなく実践したなら、私が教えたようなプレーになるよね」
即座にスカウトを開始した松波に、返答は、なんとも頼りないものであった。
「中学までバスケをやっていたら、考えます」
この時期、すなわち春菜が小学校の四年から六年までの時期に、ナジョガクに在籍していたバスケットボール部員たちは不幸だったろう。顧問が三日を空けずに、どこやらかへと行ってしまうのだ。松波は、見いだした少女に夢中だった。
当代の名将の直伝を受けて、春菜は才能を開花させた。春菜を擁する緑南ミニバスケットボールクラブは、小学生の中にプロがいる、とまで言われるありさまだった。一体、あの子は……、とあぜんとした者たちが、松波の直伝と聞いて、なるほど、とうなずくのである。松波は得意の絶頂になったものだ。
しかし、夢のような二年間が過ぎたところで、松波を悲劇が襲う。
「私、これでバスケットは終わりにします。中学受験するので」
春菜の言葉に驚愕した松波は、既に懇意となっていた春菜の両親の下に走った。
「いえ、自分で言い出したことなんです。私たちも、てっきり、ナジョガクさんでバスケットをやると思っていたんです」
負けず劣らずに困惑の体の両親の横には、澄ました顔の春菜が座っている。
「……春菜。バスケットは、もういいのかい?」
「まあまあ楽しかったけど、もういい。バスケがうまいより、勉強ができるほうが、人生の選択肢は広がるでしょう」
父と娘の問答に、ぐうの音も出ない松波だった。
「……中学受験って、どこを考えてるの?」
「ナジョガクの特進にでも行こうかな」
母と娘の会話に、しぼんでいた松波に生気が戻った。
「春菜。ナジョガクに来るなら、バスケットやろう」
「特進は部活に入れない、って聞いてます」
「私がなんとかする。なんとかするから、バスケはやめないでくれ」
那古野女学院の特進こと特別進学コースには、部活動への参加禁止の原則がある。一方、松波は専用体育館が建てられるほどのバスケットボール部の領袖である。全国で、どの程度の位置なのかわからぬ進学コースと、全国最強豪のバスケットボール部では話にならない。ナジョガクの特進がすごい、などと言ってくれるのは、那古野の人間だけだ。そして、ナジョガクのバスケはすごい、と言ってくれる者は、津々浦々にいる。故に、那古野女学院における松波の発言力は、誠に重い。
かくして、特進初の部活動に参加する生徒が誕生したのだが、成績が基準に満たない場合は体育コースへ、との条件が付いたのは、この際、当然だろう。
「じゃあ、部活をやっている私より成績が下の人も特進を放逐ですね」
ナジョガクの教員間で語り継がれる伝説的放言の主は、在学中の六年間を、上の下、ぐらいで過ごし、文武両道の体現者として、卒業式では学長賞をせしめていったのであった。




