第六三七話 週末の騎士(一二)
孝子が、新舞浜THI総合運動公園内の舞浜F.C.グラウンドを訪ねたのは、翌日の昼前になる。午前の練習後に対応させてもらう、という氷室の言葉に従っての行動だった。
待ち合わせ場所はクラブハウスのロビーだ。建物に入った孝子は、まず、ソファの一角を占めた。抱えていた大荷物を置くためだった。氷室とDVDの持ち主、および場所を拝借する舞浜F.C.へ贈るために調えた菓子折である。
壁掛けを見ると、午前一一時半となっていた。指定は正午なので少し間があった。何をして、と考えつつ孝子は立ち上がった。取りあえず、外を眺めようと考えたのだ。窓際に寄って、見れば、晴天の下、グラウンドでは舞浜F.C.の選手たちがゴールに向かってボールを蹴っていた。シュート練習だろう。氷室の姿を探したが、遠目からでは彼の存在を認知できなかった。
三分ほどで孝子はグラウンドの練習を見るのをやめた。散見されるミスに我慢ならなくなったのだ。基準が奥村になっている弊害といえた。仕方ない。暇つぶしはスマートフォンに頼ることとする。
「お待たせ」
気が付くと、目の前に氷室がいた。青いポロシャツとデニムパンツといういでたちだ。
「あ。もう時間?」
「うん」
確かに壁掛けは正午を指していた。
「本日は、どうも」
孝子は立ち上がった。
「あげます。氷室さんとDVDをお持ちの方とF.C.さんに」
「ありがとう」
菓子折の入った紙袋をのぞき込みつつ、氷室は礼を言ってくる。
「サッカー男子たちは、お菓子とか食べるのかな。バスケ女子たちは大喜びだったけど。食べないんだったら、全部、スタッフさんたちに差し上げてくださいな」
「ありがとう。ところで、君、昼は?」
「まだだけど」
「俺も、まだなんだ。食べていかないかい? ビュッフェなんで、何か食べられるものもあると思う」
氷室は孝子のアレルギー体質を承知しているようであった。友人の音楽家あたりに聞いたとみた。
「部外者を入れていいの?」
「いいよ。あと、今なら、ほとんどのやつがクールダウン中なんで空いてる」
「おっさんは?」
「俺は、全体練習が終わった時点で引き上げたんで。クールダウンは済んでる」
「サボりか」
「人聞きの悪い。大切なお客さまがいらっしゃるからさ」
「そういうことにしておいてあげよう」
クラブハウス一階の東端にある食堂は、広く、白く、そして、氷室の言ったとおりに空いていた。サラダ、フルーツ、ヨーグルトといったあたりをいただいて孝子はテーブルに着いた。隅の席だ。少し間があって氷室も来る。
「駆け回る系は、似たような感じになるんだね」
主食、主菜、副菜、汁物、乳製品、果物とバランスよく、かつ大いに配されたトレーを眺めて、孝子は感想を述べた。
「駆け回る系?」
「私、バスケの寮の食事も知ってるんだよ」
「ああ。そういえば」
氷室の視線が孝子のトレーに向いた。
「君は、足りてるのか? 遠慮しなくてもいいんだよ?」
「このもやしボディーには、これで十分なのさ」
「コメントは差し控えさせてもらうよ」
「言ってろ」
孝子は口をとがらせた。
しばし黙々と食べる。
「健啖だね。食べるだけなら、バスケの子たちもかなりいけるけど。いくつでしたっけ?」
氷室の食べっぷりを目前にした孝子は感嘆の声を上げた。
「俺は、三九の年だ」
「その調子なら、あと四、五年は持つかな」
「そうありたいが、どうなるのかな。去年まで好調だったものが、がたっと落ち込んだ、なんてのは何人も見てきたし」
氷室は言った。そうなる前に、余力のあるうちに、惜しまれつつ引くのがいいのか。ぼろぼろになるまで続けるのがいいのか。悩む、と。
「シェリルは、わかります?」
「女子バスケの人でしょう? 大ベテランだよね」
シェリル・クラウスは氷室よりも三歳年長だ。その彼女は、かつて言っていた。衰えは、本当に容赦のない追跡者だ、と。
「でも、あの人は、二年後のユニバースで有終の美を飾ろうと頑張ってますよ」
「有終の美、か。俺にとっての有終の美って、どんな形になるのかな」
答えを聞く、あるいは問いに答えることは、かなわなかった。クールダウンを終えた選手たちが、食堂にぼちぼち姿を見せだしたのだ。やがて湿り気のある会話には不適な空間となる。早々に食事を終えて、撤収するのが吉だろう。




