表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未知標  作者: 一族
633/744

第六三二話 週末の騎士(七)

『Armada』の鑑賞会から一夜明けた翌日、昼下がりのSO101である。この時間を孝子が選んだのは、大学生たちを避けるためであることは、言うまでもなかった。

「いやっほーい」

「なんで、そんなにご機嫌なんですか」

 出迎えた尋道は、いぶかしげな表情を浮かべている。

「曲、送った」

 それぞれの依頼主の元へ、伊央健翔に『Banneret』を、川相倫世に『Armada』を、だ。

「たむりん、大興奮。かっけー、って」

「それは何よりでした」

「次のホームゲームから川相さんに使わせる、って言ってたよ」

 ベースボールプレーヤー、川相一輝が所属するアメリカプロ野球のシアルス・ウイングスは、現在、遠征中だとか。

「ウイングスの次のホームゲームは、少し先ですね。忘れないようにしないと」

「あと、傑作なのは、イオケン。あの男、英語わからないの。だから、訳してくれ、って電話してきて」

「訳してあげたんですか?」

「あげるわけないでしょう。自分でやれ、って。できないなら、返せ、って」

 途端に、尋道は渋い顔だ。

「伊央さん、今日、試合ですよ」

「知るか」

 尋道の表情が渋みを増す。

「まずい。怒られる。わかったよ。訳を送るよ」

「お願いします」

 たよたよとして孝子はワークデスクに着いた。

「あーあ。次があったら、英語のわからないやつには、やらない」

 伊央宛てのメッセージを作成しながら孝子は愚痴った。

「それがいいでしょうね。それにしても、岡宮鏡子さん、アスリートと縁がありますね。この分なら、次もアスリートですか」

 静の『指極星』、奥村の『週末の騎士』、伊央の『Banneret』、川相の『Armada』と、順に尋道は岡宮鏡子の孝子が人に贈った曲を挙げていった。

「あ。一つ、抜けてる」

 言って、想起した。シェリル・クラウスに贈った『Voyage』の存在を、尋道は知らないはず、と。

「忘れてた。ごめんなさい。マネージャーを通さずに剣崎さんに頼んだ曲があってね。『Voyage』っていうんだけど」

「段取りが必要ないのであれば、僕を通す必要はありませんので、そこはお気になさらずに」

「うん。でも、次からは気を付けます。で、その、『Voyage』、ね」

 先のユニバースで、全日本女子バスケットボールチームに敗れたシェリルが、自らの年齢を鑑みて、雪辱の機会は訪れぬ、と引退を決意した際である。その弱気を叱咤し、再起を奨励する歌が、『Voyage』だった。

「というのも、アートが、べそをかいてさ。シェリルが引退しちゃうのー、って」

 しらじらしい泣きまねを孝子は挟む。

「なんだか、ふびんになって」

「で、お節介を焼いた、と」

「そうそう。ああ。せっかくだし聴かせてあげるよ。シェリル以外だと、剣崎さん、トリニティの人、あとは、たむりんしか聴いたことのない逸品を」

 孝子はスマートフォンを取りだして『Voyage』をかけた。


 長い時間がたった

 畏れを知らぬ若者が 分別のつく年齢になるくらいの

 航海を終えるべきときなのだ


「彼女」も同意するはずだ

 船体は朽ち 帆だってぼろぼろになった

 もはや長い旅には耐えられない


 グラスの用意をしてくれ

 最高級のやつを開けよう

 これまでの海路に乾杯だ

 偉大な航海は終わった


 ひどい見当違いだ

 老いさらばえたのはあなただけ

「彼女」はどんな大波にも負けない

 あなたさえ旅立つ勇気を持てば


 世界にはまだ多くの大洋がある

 そのうちいくつを巡った?

 アルバムを繰るには早過ぎる

 行こう 「彼女」が出航の合図を待っている


 グラスの用意をしてくれ

 最高級のやつを開けよう

 これからの海路に乾杯しよう

 偉大な航海は終わらない


 さほど長い楽曲ではない『Voyage』の再生が終わった三分一二秒の後だった。微動だにせず聞き入っていた尋道が、ため息交じりにつぶやいた。

「いいですね」

「でしょう」

「特に、メロディーがいい。厳かで、気に入りました。僕の葬式でかけたいような」

 突然、何を言い出すことか。

「予定、あるの?」

「あと五〇年は粘りたいんですがね」

 孝子は失笑した。

「じゃあ、あげるよ。お葬式版を作って、あげる。五〇年後まで大切にしておけい」

 言ってから、失笑の追加となる。全く、たわいない。実に、たわいない一幕であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ