第六三一話 週末の騎士(六)
剣崎は二曲を五日目になって仕上げてきた。その習熟に孝子は二日を費やした。レコーディングが行われたのは八日目なので、こちらも、およそ一週間だ。サッカー世界選手権における日本代表初戦まで、二週間ほどしかない中で始まった強行軍は、おおむね達成されたことになる。
それにしても、見事な音楽家の手練であった。
『Banneret』。疾走感にあふれた調子からは騎士の一騎駆けが思い浮かぶ。
『Armada』。歌劇じみた大掛かりな構成で一人大艦隊を表現し切った。
特に孝子が気に入ったのは『Armada』だ。実に、壮大で、よい。あまりにも気に入り過ぎて、孝子、レコーディングを終えての帰りしなにSO101を訪ねた。今日も今日とて同所に詰めているはずのマネージャー氏を、リスナーおよび音楽談議の相手として選んだのである。
「やっほーい」
揚々とSO101に入ってみれば尋道の姿はなかった。どころか、かしましい連中でごった返している。那美を筆頭に、景、佳世らが昼食を取っていた。ろくでもない。思わず、舌打ちが出た。
「なんなの、ケイちゃん! その態度は!?」
「そのままだよ。お前たち、またいるのかよ。郷本君は?」
「逃げた」
三人の発する喧噪を嫌っての逃避行なのだ。
「ここはオフィスだよ。食堂じゃないんだよ。少しは遠慮しろっての」
「お昼なんだし、いいじゃーん」
「口答えするな。クソガキが」
吐き捨てて、孝子はワークデスクに着いた。
「さっさと食べて、さっさと出ていけ」
「休み時間、まだ一五分ある」
「うるさい。出ていけ」
「嫌ー」
姉妹がやり合っているうちに、尋道が戻ってきた。
「おや。いらっしゃい」
「お帰り」
尋道が戻った以上、小娘たちは、じきに消える、ということだ。ぐっとこらえて、その瞬間を孝子は待った。
「さて」
昼休憩も終了間際となり、那美たちが去ったところで、ぽつりと尋道がつぶやいた。
「どうされました?」
やはり、尋道は孝子の葛藤に気付いていた。
「レコーディングがうまくいかなくて、ご機嫌斜め、なんて、あなたに限っては、あり得ませんし。なんなんでしょうね」
「いや、ね。郷本君と話し込もうと思って来たんだけど、そしたら、あの子たちがいて。ちょっと、いらいらしてた」
「なるほど。伺いましょう」
「曲、よかった。さすがは剣崎さん。いい感じに仕上がってた。あの人の引き出しって、本当に、すごい。鬼才」
「世界の剣崎ですからねえ」
「あの人とは、そんなに音楽の話って真面目にしたことないけど、やっぱり、詳しいよね。勉強、してるのかな?」
「それは、してるでしょう。趣味のあなたと違って、あちらは仕事なんですし。知らない、興味ない、は通じませんよ。寸暇を惜しんで勉強されてるんじゃないですかね」
「だよね。『Armada』って曲。ちょっとオペラっぽくしてくれてね。へええええ、って。感心した。聴いてよ」
「その、『Armada』というのが、伊央さんに贈る予定の?」
違う。伊央に送る楽曲は『Banneret』である。『Armada』は、別件の川相一輝に送る楽曲、などと語れば、尋道氏、目を丸くした。
「ひどい人だなあ。剣崎さんに二曲もアレンジさせたんですか」
「私だって、二曲、作ったんだよ」
「前に、剣崎さんは、自分の鼻歌をオーケストラにしてくれる人、とおっしゃってましたよね。とすると、作業量に大きな差異があるような」
にやりとされては、孝子、強引に突破するしかなくなる。
「うるせえ」
「はいはい。失礼しました。では、鬼才、剣崎龍雅の一作、拝聴させていただきます」
そう言って尋道は、居住まいを正した。鬼才への敬意を表するように。ならば、孝子も、と厳かな所作にてスマートフォンを持ち出し、ワークデスクの上に据える。鬼才入魂の一作、『Armada』の鑑賞会が、まさに始まろうとしていた。




