第六三〇話 週末の騎士(五)
作業期間は、およそ一週間といったところだ。書き上がった楽曲は、伊央のために制作した『Banneret』と、おまけで思い付いた『Armada』の二作となる。
普段であれば、スコアを剣崎に送り付けたが最後、後は野となれ山となれを決め込む孝子なのだが、今回は、控えた。無理押しの自覚がある。持参し、作意を語るぐらいの労は執らねばなるまい。
孝子が音楽家と差し向かったのは、トリニティ本社の自動販売機コーナーもといカフェだ。業務中とあって人影もまばらな空間の一角に陣取る。
「よっぽど緊急らしいですね。わざわざ、こんな場所くんだりまで届けてくれたんだ」
手にした二つのスコアを等分に眺めつつ剣崎はつぶやいた。
「無理押しなのは、わかってるので。せめて、コンセプトぐらい伝えなきゃ、と思って。これで、私も慈悲深いところがある」
「どう反応したものやら。伺いましょう。どちらから?」
「『Banneret』。もう一方は、特に急ぎません」
「わかりました」
剣崎は『Armada』のスコアを円卓の上に置いた。
「剣崎さんは、サッカーに興味とか、あったりします? 氷室さんみたいな知り合いがいるんだし、少しぐらいはありそうですけど」
「うん。だいたい、俺、中高ってサッカー部だったし」
記憶が、蘇った。音楽家は、学生時代、サッカー部の所属、と孝子に語ったのは斯波遼太郎であった。
「そうだった。昔、聞いた」
「話したこと、ありましたっけ?」
「斯波さんに」
「ああ。あいつか」
「サッカー好きなら、イオケンがイギリスで『Order of the Beatris』とか呼ばれてるのは、ご存じ?」
「知ってます。ああ。それで、バナレット騎士なんですか」
中世において、自らの旗印を掲げる権利を有した高位の騎士を、Banneret、というそうな。孝子は、これに、『Order of the Beatris』の一員、伊央健翔を擬したのだ。
「博識ですね。私、調べるまで、バナレット騎士なんて知りませんでしたよ」
「仕事柄、いろいろなジャンルの作品に触れてますしね。ゲームとかで、比較的、よく聞きますね」
「へえ。私、ゲーム、やらないから」
「でしょうね。バナレット騎士が旗印を掲げて馬を駆っている情景、か」
構想が湧いてきたようだ。スコアに注がれる視線が縦横無尽となる。
程なく、
「いけそうだ。日本代表の初戦に間に合わせましょう」
「よっ。世界の剣崎」
追従に、剣崎は鼻を鳴らす。
「こちらは?」
次いで『Armada』の番である。
「カラーズが契約してるアスリートに、川相、っていう人がいるんですよ。野球の」
「ええ」
「あの人の妻が、私の幼なじみなんですけど、だいぶ前に頼まれまして。野球って、打席に立つ前に曲を流すらしいんですよ」
「流しますね」
その楽曲を頼む、と倫世に依頼されたのは、孝子が剣崎らと共にレザネフォルにて「ワールド・レコード・アワード」を受けた時なので、
「一年以上、たってるじゃないですか」
あきれた調子が返ってくるのも当然といえた。
「気が乗らなければ、その程度、ってことですよ。私なんて」
「で、今回は、乗った、と」
「割と」
「『Armada』といったら、大艦隊、ですよね。どういった経緯で、このタイトルが出てきたんです?」
「川相さん、日本で高鷲重工の野球部にいたんですよ。その野球部が、重工の船舶・海洋事業本部っていう部署に属していて」
「なるほど」
「ええ。それで、船とか海に関する単語をあさってたら、ちょうどいいやつを見つけた、って。あと、川相さん、でかいんですよ。とにかく。背は、剣崎さんより少し高いぐらいだけど、厚みが、全然。とにかく、でかい。もう、一人大艦隊」
一人大艦隊という説明は、剣崎を大いに得心させたらしかった。音楽家はしきりにうなずく。
「よくわかりました。イメージ、湧いてきましたよ。レコーディングは同日で、できると思います。準備しておいてください」
確約が出たからには、近日中に両楽曲が完成を見るのは間違いなかった。自作の楽曲を音楽家に託し、その解釈に触れることは、毎度の孝子の楽しみである。これで、歌を入れる作業が伴わなければ、満点なのだが、世の中、そううまく回るものではない。仕方なかった。来たる日に備えて英気を養っておくとする。




