第六二九話 週末の騎士(四)
決起集会を見届けた孝子は外出した。舞浜大学千鶴キャンパスは学生協同組合北ショップにおけるアルバイトのためだ。長きにわたる試験勉強を終え、復帰してから一週間がたつ。
と、出勤の、その前に、である。SO101へ赴き、レコーディングの段取りを付けてくれた尋道に、完了の報告を行い、追加の依頼を出す。
「頼もう」
入室すると、尋道は一人だった。ワークデスクに着いて、ノートパソコンと向き合っている。
「いらっしゃい」
「一人?」
「今は」
つい先ほどまでは、みさとが在室していた、という。職場の休憩時間を利用して、顔を見せに来たのだとか。
「危なかった」
孝子は尋道の対面に、どっかと座った。
「斎藤さんがいらっしゃると、何か、不都合が?」
「岡宮絡みの話があるのさ。まず、レコーディング。済んだよ」
「ああ。お疲れさまです。あなたのことだ。あっという間だったんでしょうね」
「私は、もちろんなんだけど、剣崎さんも、あっという間でね」
そこそこの、あうん、と言っては言い過ぎか。
「もう紳ちゃんに納品したよ。そうだ。聞いて」
語り聞かせたのは、トリニティ本社スタジオに始まり本家で終わった流れだった。
「あなたは、また、そんな、吹っ掛けて」
メダルの件に関する、尋道の感想である。
「容赦なくむしり取るよ」
「まあ、伊央さんが納得ずくなら、僕がとやかく言ういわれはありませんが」
違いない。
「で」
「で?」
尋道の眉は、実に形のよい八の字となっている。
「世界選手権の初戦まで、二週間ぐらいしかありませんが、その日までに新曲をレコーディングするんですか?」
「おう」
『週末の騎士』は、奥村紳一郎の生態に擬した楽曲、としてある。他人が耳にしたところで、仕方ない。伊央には伊央のための楽曲を用意して、そちらを渡す。これだ。
「本当は、ね。『週末の騎士』って、イオケンとたっちゃんのことも歌ってるんだよ。あれを渡しちゃえば、楽だったんだけど、今更、言えないし」
「言えばいいじゃないですか」
「嫌だよ。あの歌、騎士くんを、かなりこけにしてるもの」
少し、間が空いた。
「そうですね。ぽんこつのくせに、サッカーだけうまい、みたいな歌詞ですしね」
尋道氏、『週末の騎士』の歌詞を思い返していたようだ。
「うむ」
「佐伯君は何も言ってこなかったんですか?」
決起集会に参加した三人中、ここまで名前の挙がってこない男は、『週末の騎士』に対して、なんらのアクションも起こさなかったのか、という問いだった。
「だって、たっちゃん、ものすごく逡巡してたもん。私の歌なんぞに、お金やメダルを差し出すのは、冗談じゃない、って思ったんでしょうよ」
自分の音楽は趣味。誰かにひけらかすためにやっていない。よって、そそらないさまは、むしろ、孝子の意に沿うのである。
「わかるよ。それが、普通。だから、気を利かせて、こっちから切ってやった」
「まあ、こちらも、僕がとやかく言ういわれはありませんが、ね」
尋道はスマートフォンを手にした。剣崎にレコーディングの依頼を出すためだ。
「ちなみに、あなたのほうの作業は、どれくらいで終わりそうなんですか?」
画面を見る目が、孝子のほうに向いた。
「さあ」
現状、これっぽっちも思い付いていることはないが、なんとかなるだろう。多分。あっけらかんと孝子は返した。
「じゃ、そろそろ行くね。後は、よろしく」
尋道と剣崎の通話は、延々、終わらなかったそうな。




