第六二八話 週末の騎士(三)
肉は見事に焼き上がり、男たちは盛んに舌鼓を打っている。日本代表、かくあるべし、なる討論は熱を帯び、決勝の相手はブラジル、二対一で勝つ、という具体的な豪語までが聞こえてきていた。決起集会は宴たけなわといった風情だ。
ころ合いだろう。孝子は立ちん坊でつついていたロールケーキを冷蔵庫にしまい、行動を開始する。コーヒーの抽出にかかるのだ。といっても「本家」に器具の用意はないので、ドリップバッグを使った、形だけの、であるが。
「そういえば、おケイ」
伊央の声だ。
「なんじゃい」
「奥村のうちには、何をしに行ったんだ? 奥村の話じゃ、おばさんに何も言わないで帰ってったらしいけど」
忘れていた。『週末の騎士』だ。
「そうそう。決起し損ないかけたぽんこつどものせいで吹っ飛んでた」
「いやいや。巻き込まないで。ぽんこつは伊央さんだけ」
「何を」
もめだした劣等生たちは無視する。
「紳ちゃん。コーヒーを淹れ終わるまで、ちょっと待ってて」
「神宮寺さん。僕がやっておきましょうか?」
「お願い」
孝子は席を外し、自室に向かった。当然のごとく、ロンドも付いてくる。
「お前。別に、付いてこなくていいんだよ」
愛犬をあしらいつつ、自室とDK間を往復した。戻ってみれば、奥村は抽出の真っ最中だった。やかんを片手に、ドリップバッグのパッケージを凝視している。
「適当でいいよ。どうせ、私含めて、違いなんてわからないだろうし」
確かに、と伊央も同調する。
ダイニングテーブルに着いた孝子は、デニムのポケットからスマートフォンを取り出した。
「紳ちゃん。スマートフォン、貸して。『週末の騎士』、持ってきたぞ」
「ありがとうございます」
「レコーディングしたてで鮮度抜群」
電子データに鮮度も何もあったものではない。出来の悪いジョークである
「まさか、今日、やったのか?」
スマートフォン間で楽曲の送信をしていると、伊央がのぞき込んできた。
「そう」
「そんなに、すぐ、出来るんだ?」
「普通はできないよ。私の作業が早いのと、私のプロデューサーが私のことをよくわかってるから。ほい。完了ー」
奥村が運んできたコーヒーカップと、『週末の騎士』入りのスマートフォンを交換する。
「奥村。聞かせて」
「神宮寺さんと約束したんで」
「紳ちゃん。よく覚えてた」
コーヒーカップを掲げて、称えた。とっくに忘却していると思っていたが、感心にも奥村は、誰にも聞かせるな、という孝子の指令を覚えていたようだった。
「はい」
「おケイ。プロだろう。ファンの開拓には熱心になったほうがいいぞ」
「ファンなんていらないよ。アートみたいな優良顧客だけでいい」
「じゃあ、俺も優良顧客になってやる」
「いくら出すの? 付け値次第では、売ってやらないこともない」
難問だった、とみえる。伊央は右の手のひらを顎にやり、うめいている。
「なめた額を言ったら、絶対に怒るしなあ」
「怒りはしないよ。おニイは、その程度にしか私を買ってないんだ、って認識するだけ」
怒られるよりも、もっとまずい、と伊央は笑った。
いくばくかの時間が過ぎた。伊央が手を打った。
「よし。決めた。世界選手権のメダルをやろう」
「世界選手権にもメダルってあるんだ。私、カップしか知らないよ」
「ある。ユニバースと一緒で、金、銀、銅、って」
「ふうん。まあ、いらないんだけど。だいたい、まだ手に入れてないじゃないの」
「手に入れるよ。見てな」
度し難い。途方もないお調子者だった。決めた。一曲、くれてやる。その上で、誠にメダルを獲得した暁には、遠慮会釈なくもらい受ける。伊央にほえ面をかいてもらうためにも、サッカー日本代表チームの活躍を、せいぜい祈念する孝子であった。




