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未知標  作者: 一族
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第六二六話 週末の騎士(一)

 五月末の一日、午前一〇時に開始された『週末の騎士』のレコーディングは、わずか一時間で終了した。岡宮鏡子の力量を正確に把握する音楽家が、周到な準備を調えていたことによる。

「もっとかかると思ってました。さすがの手際でしたね」

 そう言って孝子は剣崎を称した。去る間際、トリニティ本社の駐車場だ。

「あなたとの付き合いも、それなりに長いですから」

 予想される仕上がりの水準と同程度のものを用意しておけば、調整は極小で済む、という理屈である。

「腐れ縁だって、四年も続けば、まあまあ、ね」

「ええ。では、お気を付けて」

「はーい」

 完成した『週末の騎士』を携えて、孝子は舞浜市の北西部、碧区に向かった。同区の田鶴は奥村の在地なのだ。直接、注文の品を届けてやろう、と温情を見せたわけだが、

「決起集会?」

 肝心の奥村は不在だった。迎えてくれた奥村の母親によると、決起集会に出掛けた、とか。

「日本代表の?」

「いえ。佐伯くんたちと一緒みたい」

 事前に連絡の一つも入れておけば、踏まずに済んだ無駄足であっても、短兵急な女に自省の文字はない。人の厚意をむげにしやがって。孝子はぷりぷりと奥村宅を辞した。

 孝子が「本家」に帰り着くと、時刻ははや昼下がりだ。奥村宅への寄り道で、二時間弱、浪費した。冗談ではなかった。ぷりぷりを継続させつつ車を降りる。

 すると、

「お帰り」

「本家」から、ぞろぞろと来るではないか。ロンドを抱えた伊央を先頭に、奥村、佐伯の順である。

「おケイ。悪い。奥村を呼んだの、俺なんだよ」

 唐突な伊央のわびだ。

「決起集会とやらか」

 受け取ったロンドをなで回しながらただした。

「そう。世界選手権に向けて、一丁、気合いを入れようじゃないか、ってな。奥村の家に行ったんだって? 無駄足を踏ませて悪かった」

 伊央と奥村と、なぜか、佐伯までも、へこへこしている。この上、当たり散らしては、孝子の器量が問われる事態となるだろう。

「いいよ。私だって、なんの連絡もなしに行ったんだし。で、気合いは入ったのかね?」

「それなんだけど、さあ」

 伊央がうめいた。

「俺たち三人がうろついてたら、騒ぎになる、って佐伯が言うのさ」

「そう。今回の代表って、結構、期待されてて。中でも、僕たち?」

「言ってろ」

「いや、でも、実際、そうかもな、って。外じゃ、おちおち決起もしてられない可能性が高い」

「おニイ。仮にも、プロでしょう。いい店の一つや二つ、知ってるんじゃないの? そういうところに行けばいいのに」

 直後に孝子は天を仰いでいた。なんと、伊央が奥村と佐伯に決起を呼び掛けたのは、この日になってから、という。いわゆる、いい店に予約を入れるには、時機を失している。

「ばーか」

「うっせ」

「最年長が、何をやってるの。二人を巻き込んでおいて、結局、お菓子とジュースで乾杯? 小学生のチームか」

「あっはっは。それ以前の問題だ。どうするよ、って。まだ何も食ってないし、飲んでない。参ったか、おケイ」

 心情的には、のけ反るどころか、後方宙返り、に達する勢いだった。いい年をした大人が、世界的なプロが、何をやっているのやら。あまりにも情けない仕業といえた。

「放っておいてもいいんだけど、これで気合いが入り切らずに、世界選手権、惨敗、なんてことになったら、寝覚めが悪いな。時間は大丈夫?」

「おう。晩には、二人は戻さなくちゃいけないけど」

「そこまで時間はかけないよ。どれ。何か見繕ってやろう。ちょっと買い出しに行ってくる。おニイ。犬、持ってて」

「お。じゃあ、俺たちも行くか。荷物持ち」

 外を出歩けば騒ぎになる、ような連中に付いてこられたって、迷惑なだけだ。しけた連中は、おとなしくしているがよい。そろいもそろって、この「週末の騎士」どもが。決め付けておいて、孝子は出張るのである。高笑いを残して。

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