第六二一話 緑の日々(二三)
伊央健翔を「本家」の一員に加えてから三日目の夜なので、それは自動的に、ベアトリス三人衆の帰国から三日目の夜、ということになる。
「おケイ。帰ったぞ」
大声は、日本放送公社主催の、キックオフパーティー、とやらに出掛けていた伊央だ。
「お帰り」
たまたまDKにいた孝子は、出迎えのために玄関へと向かった。足元にいたロンドも付き従ってくる。
「お。紳ちゃんとたっちゃんがいる」
「入れてもいいか?」
「駄目。追い返せ」
笑声交じりに言って、そのままでこぼこトリオの前に立つ。
「二人は何しに来たの?」
「奥村さんは私に会いに来たに決まってるじゃーん」
騒ぎを聞き付けて、自室にいた那美が出てきた。
「残念。違う」
「何ー」
「八つ当たりするなよ」
那美に体当たりを食らった伊央が笑う。
「で、どうしたの。紳ちゃん。公社には行ってないはずだよね?」
「それが、来たんだよね。もう、大混乱だよ。僕たちも。公社も」
「歌を聞きに行っただけです」
「それ。なもんで、こいつ、収録に参加せずに、ずっとスタジオの隅っこさ」
そういえば、先日は、聞いてのお楽しみ、と尋道が所持していた『週末の騎士』を披露させなかったのだった。
「ほう。どうだったね。歌は。ああ。紳ちゃん、学のなさそうな顔してるし、意味がわからなかったかな?」
「英語ですか? わかりますよ」
孝子はあんぐりと口を開けた。海外移籍への布石として学習したのだとか。
「お見それしました。イオケンとたっちゃんは?」
「俺たちは、さっぱりだよ。奥村に通訳やってもらってるもん」
「ああ。こっちは、見掛けどおりか」
「神宮寺さん」
奥村が声を上げた。
「『週末の騎士』は僕ですか?」
「参考にしなかった、とは言わない」
普段は抜けていても、試合のある週末になると抜群の活躍を見せる選手のざまを称えた楽曲が『週末の騎士』になる。ちなみに、全部が全部、奥村を歌ったわけではなく、伊央や佐伯の生態も俎上に載せていたが、余計な発言は慎んでおく。どちらかといわなくても、やゆしている内容なのだ。
「別に、ばかにしてるんじゃないんだよ。最後は、ちゃんと褒めてたでしょう」
「はい。あの、一つ、お願いしたいんですが」
「なんじゃい」
「岡宮鏡子さんは、歌も歌われるんですよね。『週末の騎士』の、岡宮鏡子さんバージョンを、いただけませんか。世界選手権で励みにしたいんです」
つまらないことを言い出してきた。いや。元はといえば、つまらないことを最初に言い出したのは、自分であったか。頬かぶりを決め込んでおけばよかったものを。キジも鳴かずば打たれまい、だ。
「え。なんの話? 奥村さん。岡宮鏡子を知ってるの?」
おまけに、小うるさいやつも居合わせていた。この後、ろくな流れとならないのは、火を見るよりも明らかだった。
孝子は決めた。先んずれば人を制す。打って出る。
「いいよ。ただし、条件がある」
「はい。お金ですか?」
「今回は、いい。勝手にモチーフにしたんだし。難しくないよ。他の誰にも聞かせるな」
他人に自分の趣味を披露して喜ぶがごとき性癖は、岡宮鏡子に、ない。頼まれたので、仕方なく。岡宮鏡子の活動は、万事が、これ、であった。
「できる? できるなら、取り急ぎ、用意するけど」
「できます」
「え。ちょっと待って。私は!? 私は聞いてもいいんでしょう!?」
那美の奇声を皮切りに場はけんけんごうごうのありさまとなった。無論、孝子はいっかな構い付けない。段取りを付ける、と称して、悠々と去る。念押しの必要はなかった。約束を破れば切り捨てる。それだけのことなのであるからして。




