第六二〇話 緑の日々(二二)
「本家」のDKは、優に六〇平米を超す広さを誇る。よって突然の来客でも、人であふれかえる、という状況にはならない。ただし、座席は別だ。住人と同数の用意しかなく、何人かは立ちん坊となってしまう。
「人を中に入れることなんて、これっぽっちも考えずに設計したからね。こういうときに、困る」
あっはっは、と高笑いをするのは家主の美咲だ。ダイニングテーブルに着いて、朝食をぱくついている。
「おケイの叔母さまらしいです」
「どういう意味だ。おニイ」
孝子は背後の立ちん坊にすごんだ。その間も、サンドイッチをこしらえる手は、間断なく動く。
「ほい。できた。とっとと食え」
そう言って孝子はサンドイッチを盛り付けた皿を伊央に突き出した。
「おケイの分は?」
「うぬら用に調味したやつなんか食えるか」
病的な域に達するしょっぱい嫌いの孝子なのだ。
「くつろぐなあ」
食後のコーヒーの時間だった。伊央がしみじみとつぶやいた。那美たちは、通学、出勤に備えて自室に引き取っていたので、DKにいるのは孝子以下、尋道、奥村、佐伯、伊央、の五人である。
「このまま合宿まで、のんびりしてえ」
「のんびりできないの?」
「できないねえ。壮行会やら激励会みたいなやつが目白押しさ」
孝子の視線が向かった先には、猫舌だそうで、コーヒーカップを前に、お預け状態の奥村がいる。
「紳ちゃんは?」
「行きません。知らない人に何を言われたって、励もうなんて思いませんし」
「そりゃ、そうだ」
唐変木らしい言い草には苦笑しかない。
「だいたい、代表自体、行く意味がないのに。僕が世界最高の選手だってことは、もうサッカー界に知れ渡ってます。これ以上のプロモーションは必要ないんですよ」
「外で、今のを言われたら一巻の終わりなので、僕があらかじめ、奥村君への依頼は全て、つぶしておきました」
補足は、尋道だ。
「長いシーズンが終わった直後で疲労困憊だ。一分一秒でも休息を取りたいので、遠慮させていただく、なんて言ってね」
「僕たちも、そう言って、断ってくれたらよかったのに」
佐伯の抗議に、尋道は首を横に振る。
「今回のなんとか会で生じた縁が、いつか生きてこないものでもないですし。後々を考えたら、お二人が、この手をおろそかにするのは、得策ではないでしょう」
「奥村君は?」
「この人は、そういった世俗を超越しているのでね」
「上出来」
孝子はカラーズのマネジメント事業部を牛耳る男が弄した策を是認した。
「そうだ。おニイ」
「なんだい?」
「壮行会だか激励会だかの中に、公社のやつは、ないの?」
「あった気がする」
続いて、関は出席するのか、と尋道に問えば、する、というではないか。ふとしたいたずら心が現出した。
「おニイ。関さん、カラーズの関係者だから、公社の壮行会だけは気張って出てね」
「そうだった。わかった」
「あの人、最高に、いかした歌を歌うはず」
言ってる途中で、笑いが出てきた。日本放送公社のサッカー世界選手権テーマ曲、『週末の騎士』は、岡宮鏡子こと孝子の作なのだ。
「何。笑ってるの。ひどい歌なの?」
「どうだろうね。まあ、聞いてのお楽しみ」
ここで、抜群のさえを見せたのは、奥村だった。取り出したスマートフォンを、何やら操作していたかと思うと、ぼそりと言う。
「この、岡宮かがみこ、だか、きょうこ、だかが、神宮寺さん、なんですか?」
「きょうこ。なぜ、わかった」
「わかりますよ。あんな意味不明に笑ってたら、何かしら、関わりがあるんだ、って。お三方、ここだけの話にしてくださいね。あくまでも秘密裏の活動なのでね。ばらしたら、カラーズ追放どころでは済まさないですよ」
尋道の発した重々しい警告の後にきたのは爆発だ。世界の、と冠してもよい実績を持つソングライターの、突然の、降臨である。口々に述べられる賛辞がやまないのも当然だった。けむに巻いて、連中の惑乱するさまを楽しむつもりの孝子としては、予想外の展開であったが、これはこれで、とも思う。よって、よしとすることにした。




