第六一七話 緑の日々(一九)
むすっとにらみ続けること一〇分。ようやく反応があった。
「お暇でしょう。おしゃべりでもしませんか。カラーズの近況なんて、どうです?」
操作していたタブレットから顔を上げて尋道が言った。
「そんなの、どうでもいい。さっさと吟味しろ」
「してますよ」
タブレットが差し出されてきた。受け取って、眺めると、白の目立つサイトだ。高鷲重工が展開する商用車の公式サイトである。
「トラックでも買うの?」
「トラックは、さすがに。バンを検討しています」
「ゴルフバッグをいくつ積むつもりなの?」
「いえ。ゴルフバッグは関係ありません。スポンサーにおもねるためです。せっかく手当を出していただけるんですし」
つまらない気遣いをする男だ、と孝子は思った。
「そんな顔をしていられるのも、今のうちだけです」
軽侮の念は露骨に表れていたらしい。
「言ったね。聞こうか」
「はい。まず、商用車には、マニュアルの設定が、そこそこ、ありましてね」
今や、圧倒的な少数派に成り下がったマニュアルトランスミッション車も、商用車の分野では、しぶとく生き残っている。この点を、尋道は第一の理由として挙げてきた。
「カラーズではマニュアル乗りって、考課が上がるじゃないですか」
「上がるね」
誰あろう孝子の嗜好故、である。
「次なんですが、神宮寺さん、前に、軽のバンで車中泊しながら福岡と舞浜間を行き来したことがあったじゃないですか」
「あったね」
「普通のバンなら、もっと楽に行き来できると思うんですよ。パワーもあるし、荷室も広いし、で。入り用のときは、お貸ししますよ」
「採用」
孝子はぺこりと頭を下げた。
「お見それしました。確かに、あんな顔なんかしていられない。さあ。行くよ」
「まだ吟味が終わってないんですよ」
「そんなの、行って決めればいいじゃない」
「駄目です。吟味の過程で実車を見たいので。いきなりディーラーに押し掛けたって、商用車の実車なんて展示されてないでしょう。後は商談を申し込んでからのことです。というわけで、今日は、これ以上の進展はありません。お帰りいただいて結構ですよ」
完全な正論に孝子は詰まった。歯がみするしかない。
「商談の日取りが決まったら教えてよ」
「はい」
いったん立ち上がって、孝子は再び腰を下ろした。
「さっき、カラーズの近況とか言ってたね。暇だし、聞いていってあげる」
「では」
第一に尋道が挙げたのは、『週末の騎士』が日本放送公社のサッカー世界選手権テーマ曲に選ばれた件となる。『週末の騎士』は孝子の自作曲だ。テーマ曲のコンペティションで使いたい、と関隆一から提供を求められ、応じた経緯がある。
「リューイチ・セキ、やったじゃない」
「完成品、いただいてますけど、聴きます?」
「興味ない」
「わかりました」
第二もサッカー関連だった。サッカー、イギリスリーグが、このほど閉幕した。カラーズの関わる奥村、佐伯、伊央を擁するベアトリスFCが優勝を果たしている。
「ご存じでした?」
「知るわけない」
「そうですか。お三方、あさっての早朝に凱旋されますが、出迎えに行きます?」
「行くわけない。どうせ、大混雑でしょう?」
「いいえ。今のところ、お三方の帰国日は、僕しか知りません。例の、プレミアムゲートトウキョウですよ」
東京空港のビジネスジェット専用ゲート、プレミアムゲートトウキョウの名を尋道は出した。
「あそこなら混雑もないか。車?」
舞浜ロケッツの社用車を借りる、という。孝子も覚えのある大型のミニバンだ。
「あの車なら、たくさん乗れるね。やっぱり、行こうかな。早朝っていったら、郷本君、また空港のホテルに泊まるんでしょう?」
睡眠不足に弱い男が、早朝からの活動に対応するため、前日に現地入りするのは、これが初めてではない。付いていって、試験明けの羽を伸ばすとしようか。孝子は、決めた。




