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未知標  作者: 一族
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第六一六話 緑の日々(一八)

 黒須宅からの帰途、孝子が乗換駅の小磯駅で降車する気になったのは、清香と歓談した余韻のためだったろう。もう少し、誰かと交流したい気持ちが胸中にたゆたっていた。向かう先は舞浜大学千鶴キャンパスだ。親愛なる風谷涼子、郷本尋道らを歴訪するつもりである

 まず孝子は学生協同組合北ショップに顔を出した。折しも、ショップ長の涼子氏、大あくびの最中だった。端正な顔が盛大に崩れる瞬間を目撃して、孝子は大はしゃぎする。

「見ちまったー」

「うぬに見られたところで、痛くもかゆくもないわ」

 にやりと涼子は笑った。

「お昼、食べ過ぎたんですか?」

 昼下がりという時刻がらの問い掛けになる。

「量の多寡は、あんまり関係ない気がするね。この時間は、いつだって眠くなるよ。ああ。司法試験、週末までだっけ。お疲れさま」

「ありがとうございます。アルバイト、復帰しますよ」

「あ。できる? まあ、今週いっぱいは羽を伸ばしたらいい。来週の頭からお願いね」

「はーい」

 相手は勤務中だ。あまり長居はできない。名残惜しかったが、二言三言と交わして孝子は北ショップを辞した。

 一方、SO101では遠慮しない。

「私のおなりだぞ」

 騒がしく入室する。室内には尋道が一人でいた。

「お疲れさまです。体調は大丈夫ですか?」

「ついさっきまで寝てたし」

「それはよかった」

 関心の薄そうな応対に孝子は舌打ちした。

「寝てたの」

「左様で」

 引き続き関心の薄そうだった尋道が、不意に目を見張った。何事かに思い至ったようだ。

「あのまま黒須さんのお宅に、ずっと?」

「ずっと。で、ちょっと前に起きて、奥さまにお昼をご馳走になって」

「その後、こちらへ?」

「うん」

「本当に、お疲れさまでした」

「お疲れだよ。君が迎えを手配してくれていれば、こんなことにはならなかったのだがね」

 勝手な言い草にも尋道が動じる気配はなかった。

「あいにく現在の我が家には車がなくてですね。わざわざ舞姫館まで取りに行くのも一仕事ですし。そんなわけで、ご容赦ください」

「車、どうしたの?」

「うちのおじさん、免許を返納したんですよ。で、車も処分しまして」

 古希を機に、という郷本家の事情を、いつだったか、聞いた記憶があった。

「不便じゃない?」

「若干。ゴルフに呼ばれたときとか」

「具体的な用途があるのに、なんで処分しちゃったの」

「残すなら維持費は払え、と言われたんですよ。世知辛いおばさんに。じゃあ、いいです、と。おじさんの車、高級車に片足突っ込んでて、高くて」

 そう言って尋道は肩をすくめた。

「でも、不便でしょう?」

「まあ」

「買ったら?」

「はあ」

「手当、出すよ。行くよ」

 お待ちを、と尋道は手を上げた。

「吟味したいので時間をください」

「えー」

 勢い込んでいた孝子は不満顔だ。

「せっかく手当を出していただけるんですよ。衝動買いなんてできません」

「じゃあ、すぐに吟味しろ」

 大仰なため息が聞こえてきたが、知らぬ。すぐ、という言葉と、吟味、という言葉の間に横たわる溝の深さも、知らぬ。

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