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未知標  作者: 一族
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第六一四話 緑の日々(一六)

 SO101で宣言したとおり、孝子はラストスパートを開始した。家事は弟子の佳世に任せて勉強漬けとなる。極端に走る女なので、外出すら控えるほどの徹底ぶりだ。LBAの開幕など知らぬ。大型連休明けに予定されていた「本家」の外構工事が施工されても気付かぬ。五月半ばの試験日までまい進した。

 ――まずい。

 試験の最終日を終えた帰宅中である。電車の車内で孝子は睡魔との激闘を繰り広げていた。分は、悪い。一カ月余のもやし生活で目減りしていた精と根が尽き果てた隙を突かれた。

 迎えを依頼しておけばよかった。休日の今日だ。学生どもは暇を持て余しているに決まっている。と、ここまで思いを至らせたところで孝子は舌打ちした。那美も、佳世も、まだ免許を取得していない。そろって役立たずだった。

 いや。

 嘆息しかけた瞬間に次が湧いた。郷本尋道は、どうしている。普段、あれだけ気の利く男が動いていない理由は、どこにある。疲労困憊のはず、と迎えを手配してくれているのではないか。孝子は喜々としてスマートフォンを取り出した。

「あのやろう」

 何もない。それどころか、尋道の最後の着信からは、一カ月以上も過ぎていた。こちらも役立たずな。そろそろ混濁しつつある孝子であった。

 仕方ない。周囲が頼りにならぬなら自ら動けばよい。どこかで途中下車して休憩する。孝子の手前勝手は次の段階に進んだ。

 さて。どこか、とは、どこか。降りて、すぐに転がり込める休憩場所といえば駅至近のホテルになる。電車は舞浜の隣市、環崎を過ぎたあたりを走行中だ。舞浜駅であればホテルなど両手の指に余るほど付近にあるだろう。そうする。

「次は舞浜。舞浜」

 待望久しい車内アナウンスが響いた。環崎駅と舞浜駅間は一〇分もかからないのだが、今の孝子にとっては一日千秋にも感じられたものである。

 停車と同時に舞浜駅のプラットホームへと飛び出した孝子は、しかし、すぐさまきびすを返して車内に戻った。

 違う。もっといい場所があった。隣の新舞浜駅だ。至近どころか駅ビルにホテルが内包されている。また、同じく駅ビルに内包されているマンションには、なんと、孝子の知人が住まっている。こちらを頼めば費用もかからぬ。問題は、くだんの知人氏を、孝子はあまり好いていない、ということだが、背に腹は代えられぬ。新舞浜駅に降り立った孝子は、鼻をつまんで黒須貴一に電話をかけた。

 にもかかわらず、である。

「じじい! ゴルフか!?」

 思わず、口走っていた。一向に黒須が電話に出ないのだ。

「絶交」

 次いで電話をかけた先は、黒須夫人の清香だ。ただし、夫婦仲のよい二人のこと、連れ立ってゴルフに興じている可能性が高かった。もしも、そうであれば、清香とも絶交する。とうとう孝子の混濁も行き着くところまで行き着いた感があった。

「はい!」

 予想に反して清香は応答した。

「あ。奥さま。ゴルフじゃなかったんですね」

「え。ああ。貴一さんに掛けたの? 今日は接待だから私は行ってないよ」

「よかった」

「どうしたの、孝子ちゃん?」

「奥さま。私、新舞浜の駅にいるんですけど、お宅にお邪魔させてください」

「ええ。もちろん。歓迎するよ」

「プラットホームからだと、どちらに向かえばよろしいですか?」

「案内するよ」

 清香の声に従い、孝子は一路黒須宅に向かった。

「いらっしゃーい」

 開かれた玄関戸。両手を広げた清香。その顔に浮かんだ満面の笑み。

 孝子の意識は、ここで消失した。

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