第六一一話 緑の日々(一三)
惑乱の渦中に陥った孝子たちが、ようやく平生に戻ったのは、昼の時間が終わりを告げるころになる。座視していた尋道は、ここで学生たちに声を掛けた。
「そろそろ午後の講義でしょう。お三方は行ってください」
「続きが気になって、それどころじゃないよ!」
那美が叫んだ。景と佳世も同調する。
「そんなものは講義をパスする理由になりません」
学生の本分は勉強だ。講義を受けに行くべし。那美たちが在室している限り、これ以上の話題の進展はないと思え。尋道は言い切った。
「出ていけ」
孝子の冷厳とした命令口調であった。
「ケイちゃん。待って」
「出ていけ」
孝子に追い立てられて、渋々と那美たちはSO101を去った。
「しかし、よく思い付くよね」
改めて尋道と対面した孝子は感嘆もあらわだ。
「ビッグガードですか?」
アーティを強奪する、という行為を、もっともらしく聞こえるように取り繕ったのが、ビッグガードなる言葉だった。それ以上でも、それ以下でも、ない。
「要するに、ただの後付けですよ」
「詐欺師の本領発揮、と。悪い男だね」
「なんとでも。市井さんとアートは、あなたと大の仲よしですし、声を掛ければ来てくれるでしょう。成功率は、かなり高いかと。ただ」
「ただ?」
この極めて有効かつ的確なてこ入れ策が用いられることは、おそらく、あるまい。そう尋道は予想していた。
「どうして?」
「伝え聞くところの武藤瞳さんの人となりが、舞姫さんからの強奪を、よしとされないのでは、と思いましてね」
瞳の誇りを懸けた戦いになる。ならば、勝利は、相対的な強弱ではなく、絶対的な強弱によって得るものでなくてはならないだろう。神宮寺静、市井美鈴、北崎春菜、アーティ・ミューア、シェリル・クラウス――これら世界有数の名手たちがそろった、いわば完全体の舞姫に打ち勝ったとき、初めて、瞳の溜飲も下がるはずなのだ。
「とすれば、ですよ。武藤さんの後押しをするあなたも、強いて市井さんとアートを強奪しろ、とは言わないでしょう」
しかり、と孝子はうなずく。
「うん。で、二つ目の、今のままの舞姫に勝つための、か」
「はい」
「こっちは、どうするの? やっぱり、外国籍選手?」
そのとおりだ。こちらにもビッグガード策を用いて、外国籍選手を迎え入れる。それも、現役ばりばりの即戦力でなくてはならなかった。
「なるほど。シェリルが舞姫でプレーするのは、残り二シーズンだから、その間に勝つには、ばりばりじゃないと駄目なんだ」
「ええ。残念ながら、新人の成長を待っている時間はないでしょう。舞姫に対抗するには、最低でも、強豪国のレギュラークラスは欲しいですね」
「簡単にいうけど、そんなの、当てはあるの?」
「ミス・アリソン・プライスに、スカウティングをお願いしようかな、と」
サラマンド・ミーティアで市井美鈴と共闘するアリソン・プライスは、アメリカバスケットボール界の大物だ。培ってきた見識と人脈は、大いに頼りになるとみてよい。
「ミス・プライスは、市井さんを通じて日本への理解と好意も、それなりにお持ちと思われますので。適役でしょう」
「じゃあ、あとは、外国籍選手の枠の拡大が、通るか、どうか、だ」
「既に、アドバイザーの発案として、木村さんにお伝えしてあります。ウェヌスさんと共同で取り組んでいただけるそうなので、だいたい大丈夫かと」
「私、アドバイザー。そんな話、初耳」
孝子は肩をすくめ、両の手のひらを上に向けている。
「でも、今、知ったでしょう。あなたさえ他に漏らさなければ、少々の齟齬は、なかったことになりますので、よろしくお願いしますよ」
二つ目の献策も終了した。一仕事の後にいただくのは、先ほど、孝子から贈られた栄養ドリンクだ。小瓶を掲げた先には満面の苦笑が咲いていた。




