第六一〇話 緑の日々(一二)
ここのところのインキュベーションオフィスSO101は、何かとかしましい。原因は、那美だ。この四月から舞浜大学医学部医学科の学生となった彼女は、昼になるとSO101に乗り込んできて、昼食がてらに騒ぐ。釣られて、景、佳世といった在学中のカラーズ関係者たちも顔を出すようになって、同じく、騒ぐ。そんなような流れである。
年度が明けて、ちょうど一週間が経過した一日も、昼時のSO101は大盛況だ。まずは、那美がやってきた。
「郷本さん。どうなったー?」
早速、持参のキャンディーバーをがつがつやりながら、言ってくる。
「どうもなってません」
「もう。ケイちゃんのご指名なのに、仕事が遅いよ」
どう、とは、尋道が孝子に依頼された、アストロノーツへのてこ入れ策についてだった。瞳の打倒舞姫に助力を、と駆け込んできたとかいう景の陳情を、孝子は尋道に丸投げしてきた。そして、その現場に、たまたま居合わせた那美は興味津々となって、以後、SO101に来るたび、進捗をただしてくるようになった、という経緯だ。
「ケイちゃん、怒るよ」
「怒ったら、かばってくださいよ」
「えー。巻き添えになったら、どうしてくれるのー」
「そうなったら、那美さんをおとりにして、僕は逃げます」
那美は顎が外れそうな勢いの笑いっぷりだ。そこへ景と佳世が現れた。それぞれランチバッグを携えている。
「郷本さん。その後、どうなりましたか?」
「どうもなってないんだって。仕事が遅い。須之内さん。文句付けたほうがいいよ」
落胆の声が上がっても尋道は取り合わない。諦めた景たちは食事を始めた。
「どれ。僕も買い出しに行ってきましょうかね」
つぶやいて立ち上がりかけた尋道の手を那美が引いた。
「そんなこと言って、買ってきたためしがない。私たちと一緒が嫌なのー?」
「はい」
「何ー」
「お。かわいこちゃんたちに囲まれて、嫌そう」
勢いよくSO101の扉が開かれた。入ってきたのは孝子だ。
「感謝して。差し入れを持ってきてあげた」
栄養ドリンクの箱が高く掲げられた。化粧箱に収まった高そうなやつである。
「この人たちがうるさいので、脱出しようとしていたんですがね」
「確かに、うるさそう。おい。君たち、ちょっと静かにしていたまえ。郷本君よ。進捗を聞きに来たよ」
「ケイちゃん。郷本さん、まだ、どうもなってない、って言ってたよ」
「そんなはずない。この男が、三日も手をこまねいてるなんて」
信頼を受けた尋道は孝子に向かって一礼した。
「はい。準備は整っています。認可をいただけたら、すぐにでも行動しますが」
「ちょっとー! 郷本さん! さっきは、どうもなってない、って言ったじゃない!」
「どうせ、私のゴーサインが出るまでは、一存じゃ動けないものだから、どうもなってない、って言ってただけだよ。そうでしょう?」
「ご明察、恐れ入ります」
ずるい、せこい、と小娘たちに集中砲火を浴びせらたところで動ずる尋道ではない。
「聞こうか」
孝子が対面にどっかときた。同時に、眼前に栄養ドリンクの化粧箱が、どんと置かれた。
「ありがとうございます。大きく分けて、てこ入れには、二つの方向性が考えられると思うんですよ。一つ目は、舞姫さんに勝ちさえすればいいてこ入れで、二つ目は、今のままの舞姫さんに勝つためのてこ入れ、ですね」
「どう違うの」
「勝ちさえすればいいのであれば、まず、市井さんを舞姫から強奪します」
敵より奪った戦力を味方に加える。アストロノーツと舞姫の戦力差を、相対的に、埋めよう、という考え方だ。
「次に、外国籍選手の獲得について、新しく身長制限のある枠を設けまして、こちらを、アストロノーツさんとウェヌスさんに開放します。第一弾の解禁がビッグマン対策をうたっていたので、第二弾はビッグガード対策とでもうそぶきましょうか」
「制限って、どれくらいをお考えですか?」
佳世が口を挟んできた。
「一九〇センチ以下ですね。アートが一八七センチなので」
「奪うの?」
孝子は目を見開いている。
「奪います」
両者を奪ってなお手強い舞姫だが、それでも昨シーズンよりは、はるかに、戦える、はずだ。もって、これを、一つ目の、舞姫に勝ちさえすればいいてこ入れ、として献策する尋道であった。




