第六〇話 姉妹(一三)
「やっぱり、かっこいいですね」
那古野へと向かう行程の中間ほど、立ち寄ったサービスエリアから高速道路への合流で、麻弥の見せた一連の車さばきに対する春菜の称賛だ。時刻は午前九時を少し回っている。この日の午前六時に海の見える丘を出発した一行は、途中、ゆったりと休憩を挟みながら、正午前に春菜の実家に到着予定だ。晴天にも恵まれ、ここまでは予定どおりの道のりである。
「高速に入るとき、私も同じことをやったのに、どうして褒められなかったんだろう」
前半を孝子、後半を麻弥というのが、この日の運転の割り当てだ。
「むくれてるぞ。あいつも褒めとけ」
「お姉さんの操作は、美しいです。静と動。お姉さんが、サッサッ、で、正村さんが、バッバッ、って感じです。そうそう」
助手席の春菜が後部座席を振り返った。体格の問題で助手席に固定されている。
「雪吹君、車はマニュアルにしようかな、って言ってましたよ。お二人に刺激されたそうです」
「いいじゃないか。あいつがマニュアルとか」
「彰君なら、何に乗っても似合うね」
「雪吹さん、って、ああいう人だったんだね」
ここで、那美が会話に入り込んでくる。
「名前だけは知ってたんだけど、想像を超えてた。神宮寺家にふさわしいルックスだね」
とんでもない発言に、静の顔が瞬時に真紅へと変わった。
「なんの話してるのよ!」
「婿の話。静お姉ちゃんは、総領娘として神宮寺家の血統を残さないといけないでしょ」
「那美は!?」
「私は成美、美咲ポジション」
神宮寺家は、いわゆる「女系」だ。それも、「二人姉妹」、「妹のほうは未婚のままで」、という不思議な符合が数百年にわたって続いている。その最新の例が、当代、美幸の妹の美咲である。
「まずい話題になってきたな、静」
「何が」
「この中で彼氏持ちはお前だけだ。袋だたき」
「うそだぁ。隠してるだけで、みんないるでしょ」
「興味ないですし、そもそも、この顔です。一〇〇〇年ぐらい前に生まれていれば、美人扱いだったかもしれないんですが」
色白で平坦、面積が広く、下膨れの、純和風と表現していい春菜の顔立ちだ。
「私も興味ないね」
「私もー」
続いた二人は、どこに出しても恥ずかしくない容姿を誇っている。ただ、共通して肉付きの悪いのが、人によっては、惜しい、と感じる点かもしれなかった。
「駄目だ。メンツが悪かった。袋だたきじゃなくて、私と静の殴り合いになりそうだな」
「麻弥さん、興味あるの?」
「あるな。正直、うらやましい」
それは、なかろう。黙して聞いていた孝子は、この年上好きが何を言うやら、と思っている。麻弥がうらやんでいるのは、静に彰がいること、であって、彰そのものには魅力は感じていないはず、だった。どれだけ見目麗しの好男子でも彰は年下なのだ。
その後も流れは順調で、愛知県に入ってすぐのインターチェンジを、五人の乗った車は下りた。
「実は、私、那古野の人じゃないんですよ」
春菜は那古野市の東に位置する緑南市の生まれという。
「緑南なんて、よそでは通じません。だいたい那古野、ってことで」
丘陵地帯を縫うように引かれたバイパスを抜けると、ぱっと開けた周囲は、一面の田園風景だ。
「おう。これは、かの岡宮孝子さんの故郷に勝るとも劣らない」
「田舎、って言いたいのね」
「お姉さん、旧姓は『岡宮』さんとおっしゃったんですか?」
「そう。岡宮孝子」
「お生まれは?」
「福岡。思ったんだけど、私も生まれを聞かれたら羽形って答える。春谷市なんて、知らないでしょう?」
「はい。わからないです。お姉さんのご両親って、どんな方だったんですか?」
「父親は、知らない。私が生まれる前に、ぽっくり」
うそである。孝子の実父は存命だ。現在の養父である神宮寺隆行、当時の川島隆行が孝子の父親である。
「……すみません」
「大丈夫。知らない人だし、なんとも思わないよ。ただ、私の名前は、その父親にもらったんだって。私の「孝」に、充実の充のなべぶたを取った漢字で『孝允』さん」
「そうだったのか」
「そうそう」
こちらは一部、うそである。名前の由来は、そのとおりだが、孝允さんは孝子の母方の祖父の名だ。事情を知らぬ相手に、わざわざ嫡出でないことを披露する必要もない。ちなみに孝子は、この孝允さんとの面識がない。孝允さんは、孝子の出生よりもはるか前に他界していた。……祖母も、孝子のごく幼いうちに他界している。母の響子も三〇前に、この世を去った。岡宮家は短命の家系なのかもしれない。
「……母親はね。そう、この世のものとは思えない美人だったね」
「お姉さんのお母さまなら、そうでしょう」
春菜は素直にたたえるが、それ以外の三人は笑いだしている。
「どうしました……?」
「いや。美人なのは間違いない。そこに異論はない」
「春菜さん。お姉ちゃんは、お母さんの生き写し」
「静お姉ちゃんとうちのお母さんよりも似てるよね」
「ああ。自画自賛」
「こら」
孝子が後部座席から手を伸ばすと、春菜は避けて体を前に傾けた。
「でも、性格は全然違って。ものすごい、短気で。おっかないおばさんだったよ」
「見事に血を受け継いでるじゃないか。やめろ、運転中はやめろ」
攻撃を仕掛けようとする孝子に、麻弥の叫びだ。続くのは哄笑である。
一行は予定どおりの正午前に北崎家に到着した。迎えた春菜の両親は、大柄な娘とは正反対の、尋常な背丈の夫婦であった。しかし、その面立ちには、間違いなく春菜の両親、という相似性がある。離れに通された後、夫妻がいったん引き下がったタイミングで、麻弥が述懐する。
「やっぱ、お嬢じゃないとこういうおおらかなのは育たないんだな。おじさんも、おばさんも、すごく優しそうな人たち」
「ね。おうちも広いし。うちの『本家』よりも大きいよ。北崎さん、お嬢だ」
北崎家に対する麻弥と那美の感想だ。
「ただの田舎者ですよ」
笑ってあしらいながら、春菜が静に向き直った。
「静さん。お昼の後でナジョガクに行こうと思いますが、よろしいですか?」
「うん。大丈夫」
「皆さんは、後で父がメロンのハウスにご案内する手はずになってますので、お楽しみに」
「やったー! メロンだー!」
「二人とも、あまり恥ずかしいことをしないでよ」
「那美はいいとして、もう一人は誰だよ」
「メロンに魂を売った、恥ずかしい女のこと」
そして、取っ組み合いもどきを始めた孝子と麻弥は、昼の膳部を運んできた春菜の両親に、人の家で暴れる、恥ずかしい姿を目撃されてしまう。
真っ赤となった二人に、したり顔の那美が言うのだった。
「本当に、恥ずかしい人たち」




